2021年6月14日月曜日

皆生大会完走記④

  【2度目のロング挑戦で完走!皆生大会完走記④】


スタートに合わせて一斉に水しぶきが上がる――のは先頭集団の話。元々SWIMが苦手な上、バトルに巻き込まれるのを避けたい自分は、後方からゆっくり水に入る。

とはいえ、出来ることなら前の人の流れに乗って少しでもスピードアップしたい――。そんな甘い期待はあっという間に打ち砕かれた。

ほとんど練習をしていなかったSWIM。当然、去年のようなスピードが出るわけもなく、最初のブイを回って直線に出るころには周りにはほとんど人がいなくなっていた。

唯一の好材料は、今年、ここだけ練習してきたヘッドアップ。プールでやるとなかなか大変だったヘッドアップだが、ウェットスーツを着た状態の海ではびっくりするくらい簡単。去年はほとんどヘッドアップをしないで泳いでいたら、200mくらいあるコースの右端まで行った後、左端まで戻るという、とっても無駄な動きをしていた。

それが今年は50mおきに1回くらいの割合でしっかりと前を確認。ジグザグに泳ぐことなくまっすぐにコースを進むことができた。でも、その分、置いて行かれてしまっている状況も一目瞭然。ホントに回りに人がいない。

しかし、それは来る前から想定できていたこと。何より今日は暑くないのでBIKEで挽回できるはず。なるべく体力を使わないようにゆったり、ゆったりと泳ぐことを心掛けて、折り返し地点に到着した。タイムはちょうど45分。去年と同じかちょっと遅いくらい。水を一杯飲みほして後半のコースに入った。

去年同様、後半は右手にコースロープが見える。右側でしか息継ぎができない自分としては、息継ぎの度にコースロープが確認できる後半の方がタイムが出やすい。ひとかき、ひとかきで進む距離も伸びているように思う。何より、右手に見える景色が少しずつだけど変わっていくのが良い。

時々、同じくらいのスピードの選手と触れ合う。お互いSWIMが苦手なのだろう。ちょっと体が触れそうになるとすぐに距離を取ろうとするのが、いかにも邪魔し合いたくないという感じ。そうですよね~。ここまで来て意図しないバトルとか絶対嫌ですもんね~。と心の中で同意しつつ泳ぐ。

そしてようやく、最後の大きなブイを右に回り込んだ。最後の直線200m。ここはすぐに到着しそうに見えて、実は結構時間がかかる。海底が見えてきて、足がつきそうと思っても、実は全然深い。去年はこれで一度立ち止まってしまいロスをした。今年は、手が海底の砂をつかむまではペースを変えずに泳ぐことに集中する。

いい加減、いつつくのか苛立ち始めた時、右手の指先が砂にこすった。着いた!着いた!憂鬱なSWIMがやっと終わる。顔を上げて足をつく。波打ち際まで5mほど。そこから立ち上がり、ゴーグルを外す。平衡感覚が狂ってふらふらするが、よたよたと進んだ。まずは水を飲もう。

時計を見るとタイムは1時間27分。去年と同じくらいだ。後半けっこう巻き返したらしい。ミストのかかる中、トランジッションエリアに向けて走る――。気持ちだけでも。

トランジッションエリアは、当たり前だけどがらんとしている。置いてあるバイクは片手で数えられるんじゃないかというくらい少ない。ウェットスーツを脱いでBIKEウェアをもって着替え用のテントに入る。BIKEウェアに着替え、サングラスをかける。ウェットスーツは袋に突っ込んで、かわりに胃薬を3瓶持った。去年は大丈夫だったが、途中で胃がやられる可能性がある。ドリンクタイプの方が効きが良いように思っているので、少々重たいけれど利用することにした。後ほど、この判断に助けられることになる。

トランジットで費やした時間は5分余り。スイムのタイムは1時間33分28秒。923位じゃあ、そりゃ誰もいないよ。

そんな順位の自分にも、いっぱいの笑顔で応援してくれるボランティア、スタッフの励ましに手を振ってこたえながら、BIKEパートがスタートした。


2021年6月2日水曜日

皆生大会完走記③

 【2度目のロング挑戦で完走!皆生大会完走記③】


開会式終了後、前年同様車で10分ほどの所にあるドラッグストアに補給食の購入に向かう。

今回はBIKEの前半は30分ごとにカロリーメイト1本。後半はジェルに移行する予定。総じて2000kcal分を持つことにする。結構な量。

もちろんこれだけではレース中の消費カロリーに足りないが、前年ではBIKEだけで16Ⅼ!もの水分を摂取していたので、ドリンクやエイドで十分足りるだろうとの想定。

ちなみに、ロングのレースで必要な補給食の総カロリーはいくつか?という疑問に対して、様々な人が、色々なことを言っているので、どれが正解かは実は自分もわからない。

ただ、自分では、スイムは1時間あたり体重×10kcal。BIKEは1kmあたり体重×0.3kcal。RUNは1kmあたり体重×1kcalで計算している。

私の体重は73kgなので、スイムでは73×15=1095kcal。BIKEは73×0.3×140=3066kcal。RUNは73×42=3066kcal。総計7227kcalという計算になる。

補給食が2000kcalでは全然足りないと思われるかもしれないが、前年はBIKEだけで16Ⅼもの水分を補給した。スポーツドリンクの平均カロリーは、100gあたり20kcalくらい。それで計算すると、16Ⅼでは3200kcalものカロリーを水分から摂取できている計算になる。

そうすると体内貯蔵のグリコーゲン、エイドのスイーツ等の補給食を考えれば、消費カロリーを上回る補給が可能になる。あまり多く持ちすぎると重くなるし、このくらいが良いのではないだろうか。

さて、今年はちょっと奮発していい宿をとったので(その分、宿泊は土曜日のみ)、夜のビュッフェでもしっかりと栄養を補給。

3時半起床に合わせて目覚ましをセットして、9時に就寝した。


朝3時半―。レース当日。

真っ暗なのでわからないが、今日は曇りがちの天気との予報。去年と違って気温がそれほど上がらないのは完走に向けて好条件。

まずは朝食をとる。手巻き寿司にバナナ、ヨーグルトで結構お腹いっぱいになった。トイレをすませながら足元を見ると問題発生!右足の人差し指の爪が変な感じがすると思っていたら、なぜか爪がはがれかけていた。

何これ?なんで今なの?ちょっと茫然としてしまう。意味が解らない。

ただ、血が出ているわけではないので、とりあえず絆創膏ではがれかけも爪ごと指先をぐるぐる巻きにする。シューズの中で血だらけにならなければ良しとよう。このことだけで棄権するなんて考えられないのだから。

しかし幸先が悪い。

チェックアウトの準備もして(なぜチェックアウトするかは後述します)、車で会場に向かう。もちろん今年も近場の駐車場は4時過ぎに埋まっているので、最初からちょっと離れた駐車場を狙う。比較的スムーズに駐車場に入ることができた。

去年はゴール地点に荷物を預けなかったが、今年は着替え一式をゴール地点に預ける。今年もキネシオを貼ってくださる地元のカイロプラクティックの方のサービスをありがたく受け、施術を受けて肩の可動域を広げてからスタート地点に向かった。

それにしても気温が低くていい。去年はスタート時点で28度。日中は36度にまでなったのに、今年は午前7時の気温が21.5度。一方で、明け方に降った雨の影響か、湿度は100%となっている。雲が低く垂れこめ、ねっとりとした感じ。汗は乾きづらいだろうな・・・等と考えながら、スタート地点に向かう。

その途中、大会の計測を行っているネオシステムの清本社長をみつけ挨拶した。それにしても鳥取県まで来て社長自ら会場で計測作業にあたっていた。その姿勢に頭が下がる。9月に山形でのイベントでお世話になるので、その時はよろしくお願いします。

足の爪は気になるものの、何とかなることを願ってアップの為に海に入った。波は高くない。皆生のスイムは3kmなので、泳ぎの苦手な自分でも制限時間以内にゴールすることは難しくない。いつものレースの通り、後方からのスタートを選択する。

午前7時―。

時報と共に今年の皆生の夏が始まった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

人生、曇り時々晴れがいい。



2021年5月26日水曜日

皆生大会完走記②


【2度目のロング挑戦で完走!皆生大会完走記②】



長いことブログの更新をさぼってきました。
書いても書いても誰からも読まれることのない文章を書く意味があるのか・・・と心が折れていたのが原因です。

しかし、最近になってこのブログを訪れて下さる方が見られるようになりました。
少しでも読んでいただけるのなら。
また、こんな底辺の選手でもロングの完走に至る姿がどなたかの背中を押すことができるのなら。

そんな思いから、ブログを再開します。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

さて、大会2日前の金曜日。
今年もお金を節約するために、山形から鳥取まで約1000kmを車で移動することにする。去年はいけるところまで下道を使ったが、疲れただけで金銭的な節約にはほとんどならなかったので、全ての行程で高速を使うことにする。

新潟県から高速に乗り、海を見ながら北陸道を走る。
新潟から富山にかけてはトンネルが連続する。
せっかくの海沿いの景色が見られないのは残念だが、雪の多い日本海側に高速道路を通すにはこうするしかなかったんだろう。
かかった費用と時間に思い浮かべながら、この日は舞鶴にて一泊。

翌土曜日。
去年は福井で一泊したので、それと比べると土曜日の移動距離はかなり短い。
午前の早いうちに皆生に到着した。

前年と同じ会場だろうと勝手に思い込み、駅前のホールに向かうも誰もいない。
???
ようやくここでプログラムを確認。
今年は別の体育館で開会式があるらしい。

毎年同じじゃないんだ・・・と思いながら開会式会場へ。
コロナ禍の今では考えられない「密」な空間で受付を済ませる。
会場内はびっくりするくらい大きな体育館。去年はイスに座ったが、今年は体育館に直に体育座り。その違いが新鮮だった。

これだけの大きな大会だけに、会場も限られるし、他のイベントと重なるとこういうこともあるんだろうと思う。
きっと今年の方が会場費もかからないだろうし。

選手の人数に対して、運営するスタッフが非常に多い皆生大会。
選手の参加費だけで運営するのはどう考えても収支が合わないだろう。
開会式の会場なんてどこでもいいから、少しでも運営スタッフの方々に還元されればと思いながら話を聞いた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

人生、曇り時々晴れがいい。

2019年7月27日土曜日

皆生大会完走記①

去年途中失格となった全日本トライアスロン皆生大会。リベンジを誓って出場した2019年度の大会では、満身創痍になりながらも制限時間11分前にゴール!何とかリベンジを果たしました。
ゴールとなる競技場に入ってからの300Mは、これまでに見たこのない幸せな景色でした。
2度目の挑戦となった皆生大会を振り返ります。


【2度目のロング挑戦で完走!皆生大会完走記①】


前年の大会では、ランの途中でアンクルバンドをつけ忘れたことにより失格。ただ、本人の感覚としては十分ゴールできる体力が残っていたとだんだん過去の記憶が美化されてくる。

このため、去年の時点では5月に入ってから本格的な練習を開始したのでは遅すぎるという認識をしっかりと持っていたにも関わらず、仕事の忙しさを言い訳に今年も十分な練習が積めないまま、シーズンを迎えてしまいました。

4月の練習状況を見てみると、薪割りを含めても7日間しか体を動かしていない。一か月間で泳いだ距離1km。バイク42km。ラン9km。

正直・・・何もしていないのと変わらないレベル。

そうした中届いた皆生大会参加決定の通知。また今年も抽選にあたってしまった。
まあ、去年同様山形県からの参加者は自分一人だけ。県別の枠もあるだろうから、ほかに参加希望者がいなければかなりの確率で合格するわけで。

そう。エントリーさえすれば出られるとわかっていたのに動いていない自分。
これではまずい・・・。

5月に入って心を入れ替える。

練習した日数11日。ラン42kmはまだいい。ただ、スイムは相変わらず1km。バイクに至っては20kmとランよりも少ない。このままではまずい。まずいのはわかっていたのにやっぱり動けない。

正直、仕事のストレスにやられて心のエネルギーが足りなかったと思う。思うけれども動かない体。そして毎晩のむビール。体重も一向に落ちないまま、6月を迎える。

6月の頭にはさくらんぼマラソンのハーフに出場。当然練習不足の体。2時間17分という過去ワーストのタイムをたたき出す。

これ本当にどうしよう。けれど1か月ある。心が疲れているのは相変わらず。正直会社に行くのが苦痛で仕方がない。こんな状態じゃあ練習をする気力もわいてこない。

数限りなく自分に言い訳をしながら、それでもできることを考える。

―正直、去年みたいな練習はとてもできない。なので、メニューを変更する。筋トレメインとバイクは上り重視。距離を積む練習は二の次に。そして、一応ゴールできるだけの泳力を取り戻す。

実際のところ、6月にプールに行った回数は3回。ここで何とか1.5kmを泳ぐメニューがこなせるようになる。ランはダメージが来るので回数を減らして、その分練習後の筋トレをマストとする。
そして、距離は短いけれど、週1回必ず山登りのバイク練習をいれる。

県民の森往復の32km。獲得標高400m。
前々対した練習にはなっていないんだけど、それでも続けるうちに去年よりもバイクの上りが楽になってきたように感じる。 

そして7月。何とか時間を作ってスイム練習を2回実施。そして、バイクのロングライドをようやく1回い実施した。国道112号から大井沢を抜けて帰る107km。獲得標高は約900m。
この距離をこのくらいのタイムと疲れ具合で走れるのなら、皆生のコースも何とかなるだろう。

練習の絶対量が足りないことは痛烈に自覚しつつ、今年の、今の状況で精一杯の体を作って大会に臨んだ。体重は練習後でも73kgがやっと。去年より約2kg重い。

う~ん。体脂肪率は変わらないし、去年より筋肉が増えたと思おう。


ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

人生、曇り時々晴れがいい。





2019年4月5日金曜日

PTA会長が語るPTA活動を10倍楽しくする方法3 PTAって?

子どもが通う小学校のPTA会長になってしまった筆者が、PTA活動を10倍楽しくする方法を語るシリーズ第3弾。今回は入学式の挨拶についてです。

4月は入学式の季節です。入学式と言えば、PTA会長としての初仕事、来賓としての挨拶があります。今回は入学式の挨拶について深掘りしてみます。



フリー写真素材ぱくたそ

1.入学式の挨拶
2.式辞と祝辞
3.紙に書く?
4.何を伝えるか。


1.入学式の挨拶

4月から始まるPTA会長としてのお仕事。様々な会合に出たり、行事のたびに挨拶をしたりするわけですが、入学式の挨拶と言えば、一年で一番最初にある公式のお仕事です。この春に1年生になった子どもたち、2年生から6年生のお兄さん、お姉さん、保護者、学校の先生、来賓としてきている地域の方々―。様々な人がそのお話を聞苦ことになります。

何をお話しすればいいのか―。
僕もそうでしたが、悩まれるPTA会長さんも多いと思います。
そこで、ネットで「入学式 PTA会長 挨拶」と検索してみたら、出るわ出るわ。すごい数の挨拶例文がヒットしました。

ついでに本屋さんにも行ってみました。そしたらそこにもきちんと挨拶の例文集が販売されていました。中には、「明日でも間に合う挨拶例文集」なんてキャッチコピーがついていたものもあってびっくりしました。

うちの小学校では、歴代の会長さんたちがお話ししてきた内容が引き継がれていますので、挨拶のテンプレートがあります。こういうものを活用して上手に挨拶する内容を績みたてたいと思います。


2.式辞と祝辞

この役職を頂くまで、この言葉の意味の違いを考えたことはありませんでした。実は全然意味が違うんです。

式辞とは、入学式や卒業式など、学校の公式の行事で校長先生がお話する挨拶のこと。
そして、祝辞とは、来賓(PTA会長は来賓の一人)が式に際して述べる御祝いの言葉。

実は、歴代のPTA会長の挨拶には、「・・・・・・。これで式辞といたします。」との
文章が。これ、知らない人は完全にスルーしてしまいますが、知っている人が聞くとかなり恥ずかしいことになります。注意したいですね。


3.紙に書く?

ここは悩みどころでした。実は、このブログでも紹介した元アップルジャパン社長、山元賢治さんの講演会では、「人前で挨拶をするときに紙を見て話すのは日本人だけ」とお話されていました。

https://communica.co.jp/

このお話が無くても、昔所属していたJCでは1時間に及ぶ挨拶でも一度も紙を見ることなくお話することが求められていましたし、海外の要人の方たちも絶対に紙を見たりはしませんでした。このため、自分も挨拶をするときは挨拶原稿を読み上げるスタイルは絶対にとるまいと思っていました。

でも、ネットで調べたところ、学校には公文書保存義務というのがあって、たとえ来賓の挨拶といえど公文書なので保存する必要があるという記事がありました。そのため、挨拶原稿を読み上げるか否かに関しては、挨拶原稿を読み上げた上で、原稿を壇上に置いてくるべきとの意見が圧倒的に多くみられました。

それも確かに一理ある話です。このため、どうするか迷いました。


両方の意見を天秤にかけて、今回僕は原稿を書かない方を選びました。

理由としては、やはり原稿を読み上げるだけでは聞く人に言葉が届かないと考えたことが一つ。
学校という子供たちに限らず親も成長していく場で、原稿を読み上げるだけの自分が成長できるとは思えないこと。緊張しても・・・逆に緊張するからこそ自分自身の成長につながると考えたことが一つ。
そして、最後にグローバル化がより一層進む未来を生きる子供たちに、グローバルスタンダード(人前で挨拶するときに紙を見ない)で物事に取り組んでいる父親の背中を見せたいと考えたため。この3つの理由から原稿を書かないで挨拶することを選びました。


4.何を伝えるか。

その上で、何を伝えるかです。

新1年生には、おめでとうと小学校の楽しさを伝えること。
2年生以上の児童には、新しい仲間をよろしくねとお願いすること。
保護者には、子供の成長を見守るためにPTAを上手に利用してほしいというメッセージ。
地域の人たちには、これまで同様子供たちを見守ってほしいということ。
そして学校の先生には子供たちのことをよろしくお願いしますと伝えること。

これらのメッセージをなるべく短く、優しい言葉でお話したいと思います。

でも・・・・・・あ~~~。今から緊張してきた・・・。



ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。

2019年4月4日木曜日

F1バーレーングランプリに学ぶ「やるべきことにフォーカスすることの大切さ」

今日はこのブログではこれまで一度も触れてこなかった自動車レースのF1についてです。

2019年F1グランプリ第2戦、バーレーングランプリでは、フェラーリの新人ドライバー、シャルル・ルクレールがトップを独走するも、残り10周となってエンジンに異常が発生。1周5秒以上もペースが落ちたことから後続に次々と抜かれるも、運よく残り2周でセーフティーカーが入ることで3位表彰台を確保しました。一方、レースペースではフェラーリに劣ったメルセデスのルイス・ハミルトンが優勝しました。

このレースでは、思うようにならない現状にも感情的にならず、自分のやるべきことに集中した者に結果がついてきました。一方で、ままならない状況にフラストレーションを募らせたセバスチャン・ベッテルは、ワールドチャンピオンに4回もなったとは思えないほどの凡ミスで後退。本来なら優勝できたかもしれないのに5位に終わりました。



1.F1について
2.2019年の状況
3.レース展開
4.やるべきことにフォーカスすることの大切さ


1.F1について

フォーミュラ1、略してF1は、言わずと知れた自動車レースの最高峰です。1950年に始まり、1980年台にはホンダがマクラーレンと組んだ「マクラーレン・ホンダ」が
全17戦中16勝という圧勝劇を展開。さらに悲運の貴公子、アイルトン・セナなどの魅力あふれるドライバーが話題となり、日本には一大F1ブームが沸き起こりました。

しかし、その頃の僕はF1には全く興味がなく・・・。回りの車好きがF1の話題をしていても全然ついていくことができませんでした。

そんな僕に転機が訪れたのが1998年。大学生の時に留学したイギリスで、現地の友達から熱烈に勧められたことです。当時は車に乗るようになり、また、グランツーリスモをプレイしてたこともあり、車やレースについて興味・関心が高かった上、イギリスでは日常的に地上波で自動車レースを放送していました。

このため、1999年シーズンから熱心にF1を見るようになり、その後、地上波での中継がなくなり、さらにBSでの無料放送がなくなってCSでの有料放送になっても毎レース見続けているF1ファンです。

観戦を始めたころは、ミカ・ハッキネンが大好きで、マクラーレン・メルセデスを応援。フェラーリのミハエル・シューマッハとのバトルに熱くなりました。

その後、同じフィンランド人ドライバーのキミ・ライコネンを応援。2007年の大逆転でのワールドチャンピオンに興奮しました。

昨シーズンもテレビですけど全戦を観戦。この20年に渡る観戦歴は、平均年20レースとして400戦を観戦してきた計算になります。



2.2019年の状況

さて、そんなF1は年によって強いチームが次々と入れ替わり、2019年はシーズン開始前のテストでは、フェラーリが好調。過去5年に渡って最強だったメルセデスが1歩遅れているのではないかと言われていました。

また、去年トロロッソと組んでいたホンダが、今年はレッドブルにもパワーユニット(PU)を供給。トップチームと組んだことで優勝の期待が非常に高まっています。開幕のオーストラリアグランプリでは、マックス・フェルスタッペンがいきなり3位に入賞。ホンダ参戦第3期で初の表彰台を獲得しました。

一方、開幕前にはトップとみられていたフェラーリは、第1戦ではベッテルが4位でルクレールが5位。なんと表彰台も逃す結果になってしまいました。

このため、逆襲を誓ってこの2週間の準備を進めてきたフェラーリ。中東のバーレーンで行われた第2戦では、フリー走行から1、2を独占。予選でもルクレールがトップでベッテルが2位とフロントロー獲得していました。


3.レース展開

夜に行われた決勝レース。
ルクレールは、スタートではベッテルに比べて反応が遅いように感じたが、リプレイを見るとどうやら2速→3速→4速の加速が鈍かったみたい。すぐに2番手ベッテルに並ばれると、車をアウトに振って1コーナーへ。

ベッテルとの無理な争いはせずにすっと引くところはすごい。F1デビューしたばっかりの頃のハミルトンや、フェルスタッペンナラここで突っ張っていきなりリタイヤとかなってたのに。

逆にボッタスにも交わされ、3番手まで落ちてしまうけれど、何とかハミルトンの猛攻は抑えきって1周目を終えると、すぐさま2番手ボッタスに襲い掛かります。

中継のカメラも捉えきれていない2周目の1コーナーでボッタスに仕掛けると、続く2コーナーでボッタスを交わして2番手に浮上。そこからじわじわとトップベッテルに迫ると、6週目の1コーナーで、インを差さずにアウトから安全にベッテルを交わすとトップに躍り出ました。

この後は、至極冷静な走りで順調に後続とのギャップを築いていくと、1回目のピットストップ、2回目のストップもトラブルなく万全の状態でトップ独走。中継のカメラも映さなくなる万全の走りを展開です。まるで何度も優勝しているかのような安定の走りを展開します。

一方、ルクレールにトップを奪われたベッテル。レース後のインタビューでは車のバランスが悪かったと話していたけれど、なかなかペースが上げられない。とはいえ、後ろのハミルトンとのギャップは十分なはず。

しかし、2回目のピットインのタイミングでハミルトンがアンダーカットを仕掛け猛追。それまでのタイヤの摩耗に苦しんでいたのとは別人のような走りでベッテルに迫ります。2度目のピットストップを終えたばかりのベッテルの背後につくと、ゆさぶりをかけて熾烈なバトルを展開。

すると、焦ったのかベッテルはサイドバイサイドから単独でスピン!一気に順位を10番手まで落としてしまいます。正直、ベッテルのタイヤはハミルトンに比べて新しく、まだ十分に熱も入っていなかった可能性があるので、ここは焦らずとも良かったのに。

レース後半まで我慢していれば、飛ばしていたハミルトンはタイヤの摩耗に苦しんでペースが落ちたはずなので、そこでじっくりと勝負ができたはず。なんといってもこのレースのフェラーリは直線でかなりメルセデスより速かったし、DRSの効果がものすごく大きかったので、焦らずじっくりと走っていればハミルトンの前でゴールできたと誰もが思うレースでした。

フェラーリの1,2フィニッシュが無くなった・・・と思っていたレースはここから思いがけない展開を見せます。残り10周のタイミングでルクレールのエンジンに異常が発生。それまでより1周で5秒も遅くなってしまいます。6気筒あるエンジンの1気筒がうまく燃えていなかったみたいで、最高速も60km位遅くなり、残り数周のところでハミルトンが申し訳なさそうに抜いてトップに。

さらに3番手ボッタスにも抜かれ、このままいくと4位フェルスタッペンにも残り2周のタイミングで抜かれそう。せっかくの初優勝が目前に迫っていたのに、表彰台も逃してしまうかー。と思った先に、もう一つのドラマが。

ルノーの2台がトラブルで緊急ストップしてしまいます。この2台の撤去の為、セーフティーカーが出て追い抜き禁止に。このままチェッカーフラッグを迎え、何とか3位でゴールしたのでした。



4.やるべきことにフォーカスすることの大切さ

まさかの展開が何度も起きた今回のレース。そこで明暗を分けたのは、自分のやるべきことにフォーカスし続けた人とそうでなかった人との差でした。

優勝したハミルトンは運が良かった?もちろんルクレールのミスは運の部分ですが、それを言えば2番手を走っていたベッテルにもチャンスがあったはずです。今回のレース、メルセデス2台のペースはフェラーリの2台と比べて明らかに遅かったです。

にもかかわらずベッテルをパスできたのは、勝負のポイントを決め周到に準備していたから。1回目のピットストップを終え、第2スティントを走っていた時、ハミルトンはタイヤの摩耗に苦しみペースが上げられない中、無理な走りをやめ我慢のレースをしていました。3年前、ニコ・ロズベルグとタイトルを争っていたころにはタイヤがきつくなるとすぐに無線で泣き言を言っていたのがウソのようです。

そして、2回目のピットストップで勝負に出ます。アンダーカットを仕掛けると、第3スティントの後半にペースが落ちるリスクを取ってプッシュを続けます。反応したベッテルもピットに飛び込みタイヤ交換をするものの、予選並みの猛プッシュをしたハミルトンはベッテルの背後につくとバトルを仕掛けます。

ハミルトンにすればここで何としても前に出て、あとは何とか抑えきって2位を目指す―。これがこのレースで最大限得られる成果と考えていたことでしょう。2位を目指して最善と思われることをする。我慢と集中。

一方のベッテルはこの週末、ルクレールにポールも取られ、レースでも差をつけられてフラストレーションがたまっていたんでしょう。冷静に考えればたとえ一度抜かれてもレース後半に勝負できることがわかっていたのに、考えられないようなところで単独のスピンをしてしまいます。去年トップを独走していたのに単独で飛び出してリタイヤしたのと同じような自滅。

自分のレースに集中することよりも、対ルクレール、対ハミルトンと、他人との比較で心を乱し、するべきことにフォーカスしきれなかったからこそのミスだったと思います。

そして、悲運のルクレール。確かに、トップを独走していてのトラブルは不運としか言いようがありませんが、そこでも心を乱すことなく、ピットと何度も無線でやり取りを行い、自分にできる最善のレースを展開します。ハミルトンに抜かれる時もボッタスに抜かれる時も、無駄なバトル、無駄な抵抗を一切せず、すぐに後ろについてスリップに入り少しでもペースを上げようとする走りを続けていました。

その努力があったからこそ、ルノーのトラブルでセーフティーカ―が出た時、フェルスタッペンに前にいられました。無駄なバトルをしてペースが落ちていたら、この日は表彰台にも登れなかったはずです。

日々、僕らが仕事をしている上でも、自分ではどうにもならない不運や、限られたリソースしか与えられないのに大きな成果を求められることが多々あります。この時、状況に対する不満を述べ続けているか、限られた状況の中でも最善を尽くしているかで、最終的な成果が大きく変わってきます。こうしたことを実感したことがある人は多いと思います。

会社の上司がダメだ。お得意先がわがままだ。不満を述べる理由には事欠きません。けれど、そうした中でも自分のできることは何かを常に考え、考えられる限り最善の努力を続けることの大切さ。

明暗を分けた今回のレースで、21歳のルクレールの走りに勉強させられました。
残念だったけど、初表彰台おめでとうルクレール。フェラーリのことは一度も応援したことが無かったけれど、君のことは応援したいと思ったよ。次のレースでの優勝を願っています。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。

2019年3月27日水曜日

今年も皆生大会に申し込みました!

去年悔しい思いをした全日本トライアスロン皆生大会。

今年もエントリーしました。




いや、実は出るか出ないかは相当迷いました。なんといってもエントリーフィーだけでも4万円(mspoの手数料含む)、往復のガソリン代が約1万5000円、高速代が往復で1万5000円。宿泊費その他諸々で結果10万円はかかります。

さらにネックになるのは、前日の開会式に出なければいけないので、金曜日には移動をしておかないといけないことです。木曜日中に準備を終え、金曜日に移動。土曜日の開会式に参加して日曜日にレース。そして、月曜日にまたも1000kmを移動して帰る必要があります。途中下道を走ることになるので、15時間くらいかかります。

これだけの日程を確保することは、現在の仕事の状況を考えるとかなり厳しい。

それでもやはり、去年の悔しさをここで晴らしたいという思い。そして、目標とするレースがなくなるとなかなか走ることがなくなってしまうため、再びせり出してきたお腹を引っ込める必要に迫られ、レースエントリーしました。

今後は審査があるということで、5月上旬に審査結果が発表になります。去年だとゴールデンウィークがあけたころに参加承認のメールが来ていました。

果たして今年は承認されるのか。

トレーニングを続けながら、参加承認の連絡が来る日を待ちたいと思います。



ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。