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2021年6月14日月曜日

皆生大会完走記④

  【2度目のロング挑戦で完走!皆生大会完走記④】


スタートに合わせて一斉に水しぶきが上がる――のは先頭集団の話。元々SWIMが苦手な上、バトルに巻き込まれるのを避けたい自分は、後方からゆっくり水に入る。

とはいえ、出来ることなら前の人の流れに乗って少しでもスピードアップしたい――。そんな甘い期待はあっという間に打ち砕かれた。

ほとんど練習をしていなかったSWIM。当然、去年のようなスピードが出るわけもなく、最初のブイを回って直線に出るころには周りにはほとんど人がいなくなっていた。

唯一の好材料は、今年、ここだけ練習してきたヘッドアップ。プールでやるとなかなか大変だったヘッドアップだが、ウェットスーツを着た状態の海ではびっくりするくらい簡単。去年はほとんどヘッドアップをしないで泳いでいたら、200mくらいあるコースの右端まで行った後、左端まで戻るという、とっても無駄な動きをしていた。

それが今年は50mおきに1回くらいの割合でしっかりと前を確認。ジグザグに泳ぐことなくまっすぐにコースを進むことができた。でも、その分、置いて行かれてしまっている状況も一目瞭然。ホントに回りに人がいない。

しかし、それは来る前から想定できていたこと。何より今日は暑くないのでBIKEで挽回できるはず。なるべく体力を使わないようにゆったり、ゆったりと泳ぐことを心掛けて、折り返し地点に到着した。タイムはちょうど45分。去年と同じかちょっと遅いくらい。水を一杯飲みほして後半のコースに入った。

去年同様、後半は右手にコースロープが見える。右側でしか息継ぎができない自分としては、息継ぎの度にコースロープが確認できる後半の方がタイムが出やすい。ひとかき、ひとかきで進む距離も伸びているように思う。何より、右手に見える景色が少しずつだけど変わっていくのが良い。

時々、同じくらいのスピードの選手と触れ合う。お互いSWIMが苦手なのだろう。ちょっと体が触れそうになるとすぐに距離を取ろうとするのが、いかにも邪魔し合いたくないという感じ。そうですよね~。ここまで来て意図しないバトルとか絶対嫌ですもんね~。と心の中で同意しつつ泳ぐ。

そしてようやく、最後の大きなブイを右に回り込んだ。最後の直線200m。ここはすぐに到着しそうに見えて、実は結構時間がかかる。海底が見えてきて、足がつきそうと思っても、実は全然深い。去年はこれで一度立ち止まってしまいロスをした。今年は、手が海底の砂をつかむまではペースを変えずに泳ぐことに集中する。

いい加減、いつつくのか苛立ち始めた時、右手の指先が砂にこすった。着いた!着いた!憂鬱なSWIMがやっと終わる。顔を上げて足をつく。波打ち際まで5mほど。そこから立ち上がり、ゴーグルを外す。平衡感覚が狂ってふらふらするが、よたよたと進んだ。まずは水を飲もう。

時計を見るとタイムは1時間27分。去年と同じくらいだ。後半けっこう巻き返したらしい。ミストのかかる中、トランジッションエリアに向けて走る――。気持ちだけでも。

トランジッションエリアは、当たり前だけどがらんとしている。置いてあるバイクは片手で数えられるんじゃないかというくらい少ない。ウェットスーツを脱いでBIKEウェアをもって着替え用のテントに入る。BIKEウェアに着替え、サングラスをかける。ウェットスーツは袋に突っ込んで、かわりに胃薬を3瓶持った。去年は大丈夫だったが、途中で胃がやられる可能性がある。ドリンクタイプの方が効きが良いように思っているので、少々重たいけれど利用することにした。後ほど、この判断に助けられることになる。

トランジットで費やした時間は5分余り。スイムのタイムは1時間33分28秒。923位じゃあ、そりゃ誰もいないよ。

そんな順位の自分にも、いっぱいの笑顔で応援してくれるボランティア、スタッフの励ましに手を振ってこたえながら、BIKEパートがスタートした。


2021年6月2日水曜日

皆生大会完走記③

 【2度目のロング挑戦で完走!皆生大会完走記③】


開会式終了後、前年同様車で10分ほどの所にあるドラッグストアに補給食の購入に向かう。

今回はBIKEの前半は30分ごとにカロリーメイト1本。後半はジェルに移行する予定。総じて2000kcal分を持つことにする。結構な量。

もちろんこれだけではレース中の消費カロリーに足りないが、前年ではBIKEだけで16Ⅼ!もの水分を摂取していたので、ドリンクやエイドで十分足りるだろうとの想定。

ちなみに、ロングのレースで必要な補給食の総カロリーはいくつか?という疑問に対して、様々な人が、色々なことを言っているので、どれが正解かは実は自分もわからない。

ただ、自分では、スイムは1時間あたり体重×10kcal。BIKEは1kmあたり体重×0.3kcal。RUNは1kmあたり体重×1kcalで計算している。

私の体重は73kgなので、スイムでは73×15=1095kcal。BIKEは73×0.3×140=3066kcal。RUNは73×42=3066kcal。総計7227kcalという計算になる。

補給食が2000kcalでは全然足りないと思われるかもしれないが、前年はBIKEだけで16Ⅼもの水分を補給した。スポーツドリンクの平均カロリーは、100gあたり20kcalくらい。それで計算すると、16Ⅼでは3200kcalものカロリーを水分から摂取できている計算になる。

そうすると体内貯蔵のグリコーゲン、エイドのスイーツ等の補給食を考えれば、消費カロリーを上回る補給が可能になる。あまり多く持ちすぎると重くなるし、このくらいが良いのではないだろうか。

さて、今年はちょっと奮発していい宿をとったので(その分、宿泊は土曜日のみ)、夜のビュッフェでもしっかりと栄養を補給。

3時半起床に合わせて目覚ましをセットして、9時に就寝した。


朝3時半―。レース当日。

真っ暗なのでわからないが、今日は曇りがちの天気との予報。去年と違って気温がそれほど上がらないのは完走に向けて好条件。

まずは朝食をとる。手巻き寿司にバナナ、ヨーグルトで結構お腹いっぱいになった。トイレをすませながら足元を見ると問題発生!右足の人差し指の爪が変な感じがすると思っていたら、なぜか爪がはがれかけていた。

何これ?なんで今なの?ちょっと茫然としてしまう。意味が解らない。

ただ、血が出ているわけではないので、とりあえず絆創膏ではがれかけも爪ごと指先をぐるぐる巻きにする。シューズの中で血だらけにならなければ良しとよう。このことだけで棄権するなんて考えられないのだから。

しかし幸先が悪い。

チェックアウトの準備もして(なぜチェックアウトするかは後述します)、車で会場に向かう。もちろん今年も近場の駐車場は4時過ぎに埋まっているので、最初からちょっと離れた駐車場を狙う。比較的スムーズに駐車場に入ることができた。

去年はゴール地点に荷物を預けなかったが、今年は着替え一式をゴール地点に預ける。今年もキネシオを貼ってくださる地元のカイロプラクティックの方のサービスをありがたく受け、施術を受けて肩の可動域を広げてからスタート地点に向かった。

それにしても気温が低くていい。去年はスタート時点で28度。日中は36度にまでなったのに、今年は午前7時の気温が21.5度。一方で、明け方に降った雨の影響か、湿度は100%となっている。雲が低く垂れこめ、ねっとりとした感じ。汗は乾きづらいだろうな・・・等と考えながら、スタート地点に向かう。

その途中、大会の計測を行っているネオシステムの清本社長をみつけ挨拶した。それにしても鳥取県まで来て社長自ら会場で計測作業にあたっていた。その姿勢に頭が下がる。9月に山形でのイベントでお世話になるので、その時はよろしくお願いします。

足の爪は気になるものの、何とかなることを願ってアップの為に海に入った。波は高くない。皆生のスイムは3kmなので、泳ぎの苦手な自分でも制限時間以内にゴールすることは難しくない。いつものレースの通り、後方からのスタートを選択する。

午前7時―。

時報と共に今年の皆生の夏が始まった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

人生、曇り時々晴れがいい。



2021年5月26日水曜日

皆生大会完走記②


【2度目のロング挑戦で完走!皆生大会完走記②】



長いことブログの更新をさぼってきました。
書いても書いても誰からも読まれることのない文章を書く意味があるのか・・・と心が折れていたのが原因です。

しかし、最近になってこのブログを訪れて下さる方が見られるようになりました。
少しでも読んでいただけるのなら。
また、こんな底辺の選手でもロングの完走に至る姿がどなたかの背中を押すことができるのなら。

そんな思いから、ブログを再開します。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

さて、大会2日前の金曜日。
今年もお金を節約するために、山形から鳥取まで約1000kmを車で移動することにする。去年はいけるところまで下道を使ったが、疲れただけで金銭的な節約にはほとんどならなかったので、全ての行程で高速を使うことにする。

新潟県から高速に乗り、海を見ながら北陸道を走る。
新潟から富山にかけてはトンネルが連続する。
せっかくの海沿いの景色が見られないのは残念だが、雪の多い日本海側に高速道路を通すにはこうするしかなかったんだろう。
かかった費用と時間に思い浮かべながら、この日は舞鶴にて一泊。

翌土曜日。
去年は福井で一泊したので、それと比べると土曜日の移動距離はかなり短い。
午前の早いうちに皆生に到着した。

前年と同じ会場だろうと勝手に思い込み、駅前のホールに向かうも誰もいない。
???
ようやくここでプログラムを確認。
今年は別の体育館で開会式があるらしい。

毎年同じじゃないんだ・・・と思いながら開会式会場へ。
コロナ禍の今では考えられない「密」な空間で受付を済ませる。
会場内はびっくりするくらい大きな体育館。去年はイスに座ったが、今年は体育館に直に体育座り。その違いが新鮮だった。

これだけの大きな大会だけに、会場も限られるし、他のイベントと重なるとこういうこともあるんだろうと思う。
きっと今年の方が会場費もかからないだろうし。

選手の人数に対して、運営するスタッフが非常に多い皆生大会。
選手の参加費だけで運営するのはどう考えても収支が合わないだろう。
開会式の会場なんてどこでもいいから、少しでも運営スタッフの方々に還元されればと思いながら話を聞いた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

人生、曇り時々晴れがいい。

2019年7月27日土曜日

皆生大会完走記①

去年途中失格となった全日本トライアスロン皆生大会。リベンジを誓って出場した2019年度の大会では、満身創痍になりながらも制限時間11分前にゴール!何とかリベンジを果たしました。
ゴールとなる競技場に入ってからの300Mは、これまでに見たこのない幸せな景色でした。
2度目の挑戦となった皆生大会を振り返ります。


【2度目のロング挑戦で完走!皆生大会完走記①】


前年の大会では、ランの途中でアンクルバンドをつけ忘れたことにより失格。ただ、本人の感覚としては十分ゴールできる体力が残っていたとだんだん過去の記憶が美化されてくる。

このため、去年の時点では5月に入ってから本格的な練習を開始したのでは遅すぎるという認識をしっかりと持っていたにも関わらず、仕事の忙しさを言い訳に今年も十分な練習が積めないまま、シーズンを迎えてしまいました。

4月の練習状況を見てみると、薪割りを含めても7日間しか体を動かしていない。一か月間で泳いだ距離1km。バイク42km。ラン9km。

正直・・・何もしていないのと変わらないレベル。

そうした中届いた皆生大会参加決定の通知。また今年も抽選にあたってしまった。
まあ、去年同様山形県からの参加者は自分一人だけ。県別の枠もあるだろうから、ほかに参加希望者がいなければかなりの確率で合格するわけで。

そう。エントリーさえすれば出られるとわかっていたのに動いていない自分。
これではまずい・・・。

5月に入って心を入れ替える。

練習した日数11日。ラン42kmはまだいい。ただ、スイムは相変わらず1km。バイクに至っては20kmとランよりも少ない。このままではまずい。まずいのはわかっていたのにやっぱり動けない。

正直、仕事のストレスにやられて心のエネルギーが足りなかったと思う。思うけれども動かない体。そして毎晩のむビール。体重も一向に落ちないまま、6月を迎える。

6月の頭にはさくらんぼマラソンのハーフに出場。当然練習不足の体。2時間17分という過去ワーストのタイムをたたき出す。

これ本当にどうしよう。けれど1か月ある。心が疲れているのは相変わらず。正直会社に行くのが苦痛で仕方がない。こんな状態じゃあ練習をする気力もわいてこない。

数限りなく自分に言い訳をしながら、それでもできることを考える。

―正直、去年みたいな練習はとてもできない。なので、メニューを変更する。筋トレメインとバイクは上り重視。距離を積む練習は二の次に。そして、一応ゴールできるだけの泳力を取り戻す。

実際のところ、6月にプールに行った回数は3回。ここで何とか1.5kmを泳ぐメニューがこなせるようになる。ランはダメージが来るので回数を減らして、その分練習後の筋トレをマストとする。
そして、距離は短いけれど、週1回必ず山登りのバイク練習をいれる。

県民の森往復の32km。獲得標高400m。
前々対した練習にはなっていないんだけど、それでも続けるうちに去年よりもバイクの上りが楽になってきたように感じる。 

そして7月。何とか時間を作ってスイム練習を2回実施。そして、バイクのロングライドをようやく1回い実施した。国道112号から大井沢を抜けて帰る107km。獲得標高は約900m。
この距離をこのくらいのタイムと疲れ具合で走れるのなら、皆生のコースも何とかなるだろう。

練習の絶対量が足りないことは痛烈に自覚しつつ、今年の、今の状況で精一杯の体を作って大会に臨んだ。体重は練習後でも73kgがやっと。去年より約2kg重い。

う~ん。体脂肪率は変わらないし、去年より筋肉が増えたと思おう。


ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

人生、曇り時々晴れがいい。





2019年3月1日金曜日

東根さくらんぼマラソンにエントリーしました。

今年のレース関係、初のエントリーです。
6月2日に開催される「果樹王国ひがしね さくらんぼマラソン大会」にエントリーしました。
大会公式HPはこちら

去年はエントリーはしたものの、期限まで支払いするのを忘れてて結局参加できずにいたので、2年越しのエントリー成功です。いや、恥ずかしいお話しなのですが。

この大会は、山形県内のスポーツイベントの中で最も多い1万2000人が定員のマラソン大会。今年で18回目を迎えます。

元々「さくらんぼマラソン」の名前は、寒河江市で開催されていた「”さがえ”さくらんぼマラソン大会」が最初です。こちらは今年43回目を迎える歴史ある大会なのですが、全てのカテゴリーの定員合計が4000人。規模としては圧倒的に東根に負けています。

そのため、今では「寒河江の」さくらんぼマラソン大会であることをわかってもらうために、あえて「”さがえ”」と表記することにまでなっています。公式HPも去年のまま。調べてみたら、スポーツエントリーではエントリーを募集しているので、今年も大会はあるようですが、本家本元のさくらんぼマラソン大会としては寂しい状況になっています。

かくいう僕も東根の大会にエントリーしたわけですしね。

東根市と寒河江市は、「さくらんぼ」を巡ってのライバル関係が有名な話です。方や「佐藤錦発祥の地」、方や「さくらんぼの生産量1位」。

どっちがどっちだったか忘れましたが、とにかく「さくらんぼ」を巡っては火花を散らす両市ですが、マラソン大会の運営に関しては、東根市に軍配が上がっているようです。

でもこれって、ロケーションの差だよね・・・。陸上自衛隊第六師団を擁する東根のさくらんぼマラソンは、自衛隊の広大な敷地を全面的に活用して、1万2000人を収容するだけの駐車場を確保。なるべく車で来ないようにとか、乗り合いで来てほしいと呼び掛けはするものの、これだけの台数の車を収容できる場所は、なかなか他にはありません。

一方の寒河江市の方は、市内の中心部を走るので駐車場と交通規制が大変ですし。


さて、”東根”のさくらんぼマラソンにエントリーするのは、今年で3回目です。初挑戦は2009年。初挑戦=初ハーフでした。

この時は、前半は1km5分半くらいのペースでずっと走れていたのですが、18kmを過ぎたあたりで左膝が痛くなり(ランナー膝っていうのですかね?)、ペースダウン。

機械の油がきれて、ギコギコ音がするような感じで膝が動かなくなり、歩くことしかできず。残り3kmに30分以上かかり、2時間12分でゴールしたのを覚えています。

これは完全に練習不足が原因との反省のもと、翌2010年には練習を強化。さらにさくらんぼマラソンの4週間前にも別のハーフマラソン大会に参加。さらに2週間前には飯豊グランフォンド飯豊で160kmのグランフォンドを実施して、本人的にはかなり準備万端の状態で参加。

結果は1時間52分。秒までは覚えていませんが、こちらが今のところ僕のハーフマラソンのベストタイムになっています。

なお、この年は、2週間後に参加した本命のおしんレースで、最後のランの途中でふくらはぎに肉離れをしてしまいDNF。十分な練習ができるだけの体作りができていなかったことが反省となりました。

さて、今回はそれから9年ぶりの参加。目指すはもちろん自己ベスト更新ですが、前回参加したときは34歳。今年参加すれべ43歳。奇しくも3と4で表記される年齢となりますが、体力的には全然ベースが異なります。

とはいえ、冬の間サボっていたこともあるので、昨日は久々にランの練習を実施。とはいえ、たった5kmのジョグですが、これでも結構なダメージがありました。

まさかの足裏に豆ができるとか(どんだけ走っていなかったんだよ)、膝上の四頭筋がバリバリに張るとか、シンスプリントが痛くなるとか。

思い知ったのは43歳の体の現実です。


今年の山形は例年になく暖かい冬になっていて、雪も全然なくなったので、これから少しずつペースを上げて大会に合わせていきたいと思います。

皆生をどうするかもあるしね。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。

2019年2月10日日曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~㉗

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録㉗
~最終回~


大会の総括④大会運営について


初めて出場したロングのトライアスロン大会に出場した記録を綴ったシリーズ。27回目にしてようやく最終回です。

たった1日のレースをどんだけ引っ張ってんだよと突っ込みが入りそうだけど、それだけ多くの気づきと学びがあったので、もし出場を迷っている人がいたら参加してほしい。

迷っている時点ですでに出場できるだけの実力があると思う。5kmも走れない人は最初から選択肢にトライアスロンは入ってこないし、迷いがあるということは「できるかどうかわからない」くらいは実力があるからだろう。

そういう状況であるならば、迷ったままの状態では何の学びも得られない。出場して、それがたとえ失敗だったとしても、筆者のように27回シリーズでブログの記事を書き続けられるくらい、得られるものは多かったのだから、迷う時間がもったいない。


さて、話を本題に戻すと、大会の総括の最後は大会運営についてです。


これに関しては、ただ一言「感謝!」しかありません。

約900人が出場した大会を運営するにあたり、4000人のボランティアが参加してくれたとのこと。選手1人につき4人がお世話をしてくれた計算になる。本当にたくさんの方々が、声をかけてくださり、気にかけてくださっていた。

スイムでは、たくさんのライフセーバーの方々が選手の安全を守ってくださっていた。

バイクでは、交差点のたびにボランティアの方が誘導してくれた。140kmのコースを一度も道を間違わずに走り抜けられたのは、彼ら、彼女らがいてくれたから。

さらに、エイドステーションでは、各ステーションで20人を超える人が、次々と押し寄せる選手に水や果物を配り、ボトルの補給を手伝ってくれた。さらには冷水を頭や体にかけてくれたほか、氷が欲しいと言えばすぐに出してくれた。

他にも、空になったボトルを回収し、それを洗浄・保管して来年の大会に向けた準備をするなど、きっと選手の見えないところでもたくさんの仕事があったことだろう。

ランでは、具合の悪くなった筆者のために、駆けずり回って氷を探してきてくれた。さらに様々な声掛け、アドバイスを頂き、そのおかげで再び走りだすことができた。


あの暑さの中、早朝から夜まで関わってくださったボランティアの方々、本当にありがとうございました。


そして、それだけの大所帯というか大規模運営組織を機能的に回していた運営本部の皆様。4000人以上の人間を動かす大変さ、すごさは想像がつかない。
また、それだけの人をたった1日集まったその日に動かすノウハウは、ほかの色々な仕事やプロジェクトを進める際にも応用が利くと思う。

さらに、大会の運営には行政からもお金が下りていたと想像する。

大会の参加費が3万9000円。900人が支払ったとして、約3600万円の予算では、きっと全然足りないと思う。

だって、ボランティアの皆さん、全員お揃いのTシャツ着てたよ。1着1000円だとしても、4000人で400万円!

このほか、一人ひとりのお弁当や飲み物だけでも1人1000円以上はかかっただろうし、4000人を輸送するバスや車、さらに、棄権した選手の回収や救急体制の手配など、とても選手の参加費だけでは大会は回っていないと思う。

これだけの規模で、しかもこれだけの長い間、出場した選手の満足度の高い大会を運営してこられた実行委員会の組織づくり、代替わりしても受け継がれるノウハウは、有形無形の価値を地域にもたらしていると思う。

ぜひ、これからも大会を運営し続けてほしい。


そして、最後に。

次は「絶対に完走する!必ずリベンジに行く!」

ことを宣言して、このシリーズを締めたいと思う。



ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。

2019年2月7日木曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~㉖

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録㉖


皆生大会の総括③ラン


残念ながら、ランは全体の4分の1くらいしか走っていないので、きちんと完走した方みたいなことは書くことはできない。

けれど、いくつか重要な気づきと学びがあったので、ここで共有しておきたい。


まず、鳥取県の位置。日本を東日本、西日本と分けると、西日本にある。山形からは約1000km。経度としは、県庁所在地の山形市は東経140.324557度。米子市が133.329214。

おお、調べてみると7度も違うんだ。

・・・何をいきなり?と思われるかもしれないが、これ、かなり重要な違いです。

これだけ経度が違うと、日の出と日の入りの時間が違ってくる。

この日の日の出は、米子市が午前5時03分なのに対し、山形市が午前4時27分。
日の入りはは、米子市が午後7時22分なのに対し、山形市は午後7時02分。

ネットで調べた数字だと30分だけだったけど、体感としてはもうちょっとずれていたような感じがあるなぁ。

何が言いたいかというと、米子市と山形では約30分日中の時間がずれているということ。日中の時間がずれるということは、日中の最も暑い時間帯も違っているということです。

ランで具合の悪くなっていた午後4時ごろというのは、山形だとだんだん夕方に近くなってきて、気温が下がってきている時間。でも、鳥取はまだまだ気温が下がらない時間帯になる。

実際、気象庁のデータを調べてみても、この日の米子市は、午後4時10分に気温が31.7度だったのに対し、10分後の午後4時20分には32.3度と再び上がっている。30度を下回ったのは、午後5時50分になってから。

このため、気温が下がってくることを前提に、少々厚着になってもいいか・・・とランへのトランジットで準備していたことは、間違いだったということ。もう少し暑さが続くことを前提にしなければいけなかった。

西日本に住んでいる方なら気にしなくてもいい話だけど、東日本に住んでいるひとは結構体内時計が狂うので影響が出ると思う。もちろん、旅行などで訪れるだけなら気にならない差でしかないけれど、体力の限界に挑んでいるロングのレースでは、表に現れないこの「時差」を知っているのと知らないでいるのとでは、準備に差ができてくる。

この時差、長崎の五島列島、宮古島とより西の方で行われる大会は、より顕著に出てくる。大会の開催時期を考えると、皆生ほど暑さの影響はないかもしれないけど、体内時計の狂いがパフォーマンスに影響を与えるかもしれないので、知っておいた方がいいと思う。

実際、走り出してすぐに具合が悪くなってしまったので、これは今後絶対に忘れないでいられる気づきと学びになった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。



2019年2月5日火曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~㉕

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録㉕



皆生大会の総括②バイク

ランが途中失格となってしまったため、大会当日最も長い時間を過ごしたバイク。その分、補給、暑さ対策など学びがたくさんあった。

まず、補給に関して。

ロングのレースに限らず、バイクの練習の時も補給は必須。2時間で50km~60km走る程度の練習なら特になくてもいいのかもしれないけれど、100kmを超えるロングライドを補給なしでやることは難しい。ハンガーノックになってしまってはレースを途中で断念しなければならなくなる。

一方で、補給しすぎると胃に来るのも確か。レースの途中で気持ち悪くなり、ペースを上げられなかったという人も多いと思う。

では、どの程度の量が適正量なのか。

これは、その人の体重と年齢、性別によっても変わってくるんだと思うんだけど、体重75kgの自分としては、30分にジェル1個というのが最適だった。

ジェルも色々な種類があるけれど、エネルギー補給系の場合は大体1袋120kcalくらいだと思う。1時間で2つとして240kcal。糖換算で34g。

僕はバイクに7時間かかったので、ちょうど14袋、1680kcal摂取したことになる。

この補給量は、実際に走っている際に消費しているエネルギーに比べるとかなり少ない。バイクによる消費カロリーは諸説あって正直よくわからないけれど、仮に1kmあたり15kcal消費したとしてもバイクパート全体では2100kcalは消費していた計算だ。

さらに、あの暑さとアップダウンが厳しいコースの状況を考えると、3000kcal程度は消費していたと思う。そうすると半分ちょっとしか補給できていないことになる。

しかし、エイドステーションでは毎回バナナやスイカ、レモンなどの果物を口にしていたこと。さらに、スポーツドリンクに含まれている糖質も計算すると、2000kcal以上は摂取できていたはず(このあたり、思い込みばかりなので正確性が欠けています。目安と思ってください)。

この摂取量、いやいや少なすぎるでしょうとおっしゃる方もたくさんいると思う。けれど、この摂取量で一度もハンガーノックにはならなかったし、バイクスタート時に液体の胃薬を飲んでいたとはいえ、一度も胃腸に不具合は起きなかった。

つまりは脂肪燃焼のサイクルがうまく回っていたのだと思うし、それを回すためにも
結局のところ、「低血糖にならない程度の補給」というのがちょうど良い量になるのだと思う。
あ、水分は取りすぎて困ることはありません。


水分補給に関して。

レース中の本文でも書いたけれど、この日のレース中、計算すると16L以上の水分を摂取したけれど、夜、宿に帰ってトイレに行くまで、一度もおしっこは出なかった。夜トイレに行った際も何とか濃い黄色いおしっこが少量出ただけ。

それだけ、体内の水分量が足りていなかったということだ。

ただ、普通の生活で1日に16Lもの水分を摂取することはない。だって、16Lだよ。ビールの350ml缶の24本入り箱、これを2箱分の量。こんな量、飲めるわけがない。

それでも水分補給が追い付いていなかったということは、いかに灼熱の皆生と言われるこのレースが過酷な暑さの中で行われているかの証拠だと思う。

これだけの水分を吸収する胃腸の負担も相当なはずで、それも考えると補給する糖質の量は上記、30分でジェル1個がちょうどよかった。


最後にレースペースについて。

レースペースは、本当、思った以上に伸びなかった。獲得標高が1500m前後という皆生のバイクコースは、思った以上にアップダウンが激しい。お話できた出場選手の中には、長崎の方がアップダウンが厳しいとお話されている方もいらっしゃったけど、じゃあ長崎はどんだけだよ?って感じ。

初ロングがバイクの短い皆生で良かったというべきなんだけど、それでもなぜあんなにペースが上がらなかったのか。

その理由の最大のものは練習不足なのはよくわかってます。でもそれだと反省と分析にならないので、言い訳と思われるのを承知で書いていくと、やはり暑さと交通規制がないことによる一時停止がある。

暑さはやばかった。これがあと5度低かったら(それでも最高気温31度)だいぶ楽になったんだと思うけど、36度は厳しい。ピーカンだったので直射日光と照り返しで魚焼きグリルの中みたいに上下から焼かれている感じだった。

下りやスピードがある程度ある平地は何とかなるんだけれど、時速10km前後になってしまう厳しい上りでは一気に暑さがこたえた。

さらに、下り切った先で起きる一時停止。これもペースが上がらない原因の一つだった。下りのメリットを得られないことと、気持ちが折れることこの上ない。
この点、初めて皆生大会に出場される方は参考になるかもしれません。

でもそれが皆生の魅力の一つでもあるのだから、最終結論としては自分の力が足りなかったということです。はい。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。









2019年2月2日土曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~㉔

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録㉔



皆生大会の総括①スイム


レース翌日は朝6時前に目が覚めた。全身筋肉痛かと言えばそれほどでもない。オリンピックディスタンスのレースの翌日は、全身バキバキになっているのになぜだろう。
やはり、最高出力を抑えて巡航しているからか。

閉会式は朝10時から行われる。閉会式後はレセプションになって食事も出るらしい。しかし、レセプション終了後(たぶん11時くらい)に皆生を出ると、家に着くのは何時だ?片道12時間はかかるので23時!明日は朝から仕事なのにムリムリ。

ということで、残念ながら閉会式とレセプションは次回以降、きちんとゴールできたときのお楽しみにすることにして、早々に宿を発つことに決めた。

機材はすでに車に入っているので、トランジッションバック内の荷物を整理して車に積み込む。ウェットスーツやバイクジャージは前日の夜のうちに浴室で洗って干しておいた・・・が、乾いていない。さすがは1泊3000円の宿。
値段が安いから別に宿に不満はないんですけどね。

そして、朝6時半にホテルのフロントに鍵を置き(経営者の老夫婦はまだ夢の中?)、1000km先の山形を目指して出発した。

往路の途中で給油したこともあり、燃料計は4分の3くらいを示している。どっちみち1回は給油しなければならないのだから、高速に乗ってからでいいか、と考えていたが、これが大きな間違いだった。

途中のサービスエリアで寄ったガソリンスタンド。ガソリンの価格が皆生市内より1リットルあたり15円ほども高い!これなら最初に満タンにしておけばよかった・・・。

そんなことがありながらも、一日中、たった一人で運転するロングドライブ。考える時間だけはたっぷりあったので、色々とレースを総括した。

まずはスイム。コース幅があれほど広くて、しかも1往復という単純なコースの場合、まっすぐ進むことは非常に重要だ。往路と復路のタイムを比べた際に、後半のタイムの方がかなり良かったということは、いかに前半でロスをしていたかがわかる。

対策はヘッドアップをすることなんだけど、今まで適当に考えてきたこのヘッドアップ、どうやら今後はしっかりと練習の中でやらないといけないみたいだ。

確かに泳いでいるときのリズムが崩れるので、僕は嫌いなんだけど、要はヘッドアップをすることを前提としたリズムを作ることができればいい。それには数をこなすしかないか・・・。当たり前だけど、次回のスイムの練習からはヘッドアップをしながらの200m×5本とかをいれていこう。

それと、スイムでは集団の中で泳いで流れに乗ることもとても大事だ。友達が少ないのでいつも一人でスイムの練習をしているから、普段はなかなか実感できないけれど、以前、プールでスイムをするレースに出場したことがある。この時、自分よりちょっと速い人の後ろをついて泳いだんだけれど、そうすると前の人に引っ張られてすごく速く泳ぐことができた。

バイクでいう風よけというか、集団の後ろにいると力を使わなくていいように、スイムでもそういう働きがある。もちろん、集団の中にいれば他の選手と接触する危険性もあるのでいやな人もいるかもしれないけれど、多くの選手が作る水の流れに乗ることができるかできないかでは、大きくタイムが変わってくるんだと思う。

それには最低限の泳力が無いといけなくて、本文中にも書いたけれど、プールでは50mを1分のペースでずーっと泳ぎ続けられるくらいの泳力が必要だ。この泳力、僕は全くないので、少しづつ力をつけていきたい。

逆に「そんなの余裕だよ」という人はスイムには苦手意識は持っていないはず。当然ヘッドアップもできるだろうし、まっすぐ泳ぐこともできると思う。


皆生大会の総括編、次回はバイクと補給についてです。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。



2019年1月31日木曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~㉓

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録㉓



前回までのあらすじ―。

準備2か月で出場した全日本トライアスロン皆生大会は、バイク→ランのトランジットで、アンクルバンドを外したまま置き忘れ、途中失格となった・・・。


スタート地点でアンクルバンドを発見した。

この計測器をつけてさえいればゴールできたはず。テーピングをまいたときに外していなかったらこんなことにはならなかった・・・。

たらればばかりが頭の中で繰り返される。それでも現実は途中失格。

トライアスロンにかかわらず仕事もそうだけれど、結果がすべて。どんな言い訳をしても、結果を出さなければ成果も得られない。きっとこの日は、たとえアンクルバンドを付け忘れていなかったとしても、何かしらの理由でゴールできなかったんだろう。

そう、自分に言い聞かせ、荷物をまとめた。


トランジッションバッグ3つを抱え、離れた駐車場に向う。バイクにまたがってみるとびっくりするくらいお尻が痛い。走っているうちはアドレナリンが出まくっていたのか全く感じなかったけれど、お尻も限界だったんだろう。

車に荷物を積み込み、一度宿に帰る。シャワーを浴びた後、アンクルバンドを返しにゴール地点の競技場に行った。

午後8時を過ぎ、日は落ちた。そんな中、ゴールの陸上競技場はライトアップされて輝いている。特にゴール地点はまぶしいくらいだ。

このまぶしさは、ライトの明かりによるまぶしさか、ゴールできる選手たちへの羨望からくるまぶしさか・・・。

本部に行き、事情を説明してアンクルバンドを渡すと、「お疲れ様でした!」と軽~く受け取られた。そうですよね~。ここに来る人たちは皆明るい表情をしてますもんね。真っ暗に沈んでいるのは僕の心だけであって、運営の方々も含め、今日一日をやり切ったという充実感があふれていた。

せっかくなので、ゴールした選手たちの写真を撮る。来年かはわからないけれど、必ずここにリベンジに来たい。そう心に刻みつけた。


ゴールできなかったとはいえ、せっかくだから運営サイドが準備したしつらえを楽しんで帰りたい。

競技場の外の何店も連なっている屋台をみていると、ラーメン店の前に「選手は無料」の文字が。貧乏性が全面に出て、早速1杯もらう。タイミングが良かったようで、並ぶことなく食べることができた。

一日動いていたので胃が受け付けなくなっているかも・・・と思ったが、まったくそんなことはなくおいしくいただけた。普段は飲まないスープも(血圧が高めなので)全部飲んで完食。本当はもう一杯いきたかったけれどさすがに遠慮しました。

ゴール後に受け取るはずだったバスタオルとビール1缶は残念ながらもらえず。きっと話をすればもらえたんだろうけれど、言い出せずに競技場を後にした(なお、バスタオルは後日送られてきた)。

宿に帰って、自宅に電話をする。ゴールはできなかったけれど、無事に一日を終えたことを報告。その後、せっかくだからとコンビニでビールと鶏肉の弁当を買いにいく。それで一人、ホテルの部屋で反省会を行った。

しかし、不思議なことに全く酔わない。しかも全くおいしくない。

普通、これだけ動いて汗をかいた後のビールは至極の一杯になるんだけれど、何だか味を感じなかった。500mlのビールを1缶あけるのにも苦労した。

そして、翌日、1000kmを1日で帰らなければならないことを考え、早めに床についた。


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人生、曇り時々晴れがいい。

2019年1月29日火曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~㉒

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録㉒



前回までのあらすじ―。

ふとしたことから思い立った全日本トライアスロン皆生大会出場。山形から1000kmを車にバイク他一式を積み込んで自走して会場入りした大会は、最高気温36度を超える灼熱のレースだった。
人生初の熱中症を体験したラン。約1時間をロスしたものの、ようやく回復したが、今度はアンクルバンドが無いことに気づいて・・・。



アンクルバンドが無い―。

これまで、数多くのトライアスロンの大会に出ていて、こんな経験は初めてだ。

何でなくなっていたのか・・・。どこにいったのか・・・。

真っ白になった頭で考える。考える。考える・・・。


・・・あれだ!

バイクからランへのトランジットの時、足首に巻いたキネシオテープ。このテーピングのために、一時アンクルバンドを外した。

たぶんその時、テープの紙と一緒にまとめてトランジッションバッグに入れてしまったんだろう。皆生大会では、トランジットのタイムを測るためのランスタート地点での計測点が無かったことも、走り出した時に気づけなかった理由だ。

しかし、トライアスロンはすべてが自己責任。悪いのは自分だ。

ではどうしよう。

真っ白になった頭で、とりあえず足だけは動かしたまま考える。取りに戻るのはどうか。
いや、すでに10km来ている。これから10km戻ってトランジットまで行き、さらに今走っているところまで再び走りなおすと20km。そこからさらに32km。

残り時間4時間半で?どう考えても無理な相談だ。

となると失格はやむを得ない。悔しいけれど、本当に悔しいけれど、ゴールしてもタイムは出ない。でもこのまま走ってゴールまで行くことはできる。

しかし、大会運営をする人たちにとっては、アンクルバンドは計測器でもあり、下手したらGPSで選手の現在位置を確認しながら、選手の安全を守ろうとしている道具。そうした努力を払って大会を続けている以上、まったく伝えないで走り続けるわけにはいかない。

そのため、次のエイドステーションでマーシャルを探して事情を説明した。さすがにマーシャルの方もびっくり。そんな人見たことないとか・・・。ですよね~。自分でも信じられないもん。

本部に確認を取るということで、しばし待つ。

その後伝えられた返答はその場で失格。その後のレース続行は認めないというもの。やはりというべきか、安全確認ができない状況で走らせるわけにはいかないということか。

このまま、ここで回収のバスを待つように言われるが、この日は最終的に36度の猛暑日になっていた日。DNFの選手が多く、救急車で搬送された人や回収された人が後を絶たず、バスが来るまで2時間くらいかかるという。

2時間も何もしないで待っている気になれず・・・。歩いて戻ってもいいか確認すると、それは大丈夫という話。しかし、レースは終わっているので、ゼッケンは外してほしいと言われた。

当然のことなので、その場でゼッケンを外し、10km先のメイン会場までとぼとぼと歩き始めた。

胸にこみ上げるのは、「何でこんなことになったんだ」という疑問と後悔。あの時、ちゃんとアンクルバンドをつけていれば。きちんと忘れ物チェックをしてから走り出せていていれば。

これまで、ゴールを目指して走ってきた道。ランの折り返しを過ぎれば、ゴールへと続くはずだった道。

そこを、スタート地点に向って進む自分がいる。なんだかんだで10万ものお金をかけて、1000kmも車を走らせて、ようやく来た皆生。時間と金をかけ、仕事を調整し、ようやく参加にこぎつけた初ロング。それが何の結果も出せない結果になった・・・。

これだけの無力感と挫折は、しばらく味わっていなかった。

悶々と考えながら進んでいたら、今度は曲がるべきところをまっすぐ行ってしまい、道を間違えた。携帯もないし、当然地図も持っていない。しかも初めての街。

お客様の見送りに出ていたディーラーの販売員の方に道を聞いて、ようやく、ずっとまっすぐに走っていたと思ったコースが、途中で曲がり角があったことを思い出す。それだけ頭が朦朧としていたことだ。

スタート地点が近づくにつれ、続々とゴールを果たして戻ってくる選手たちとすれ違う。
どの選手の表情も晴れやかだ。一日かけて猛暑の中走り抜けた自分に誇りを感じているようないい顔をしている。

本当は自分もそういう顔をしたかった。

次第に日が傾き始めた午後6時半すぎ。ようやくメイン会場のスタート地点にたどり着いた。バッグの中身をひっくり返してみると、出てきた。アンクルバンドだ。これを忘れてしまったために途中失格―。

たった2か月の準備で初めて挑んだロングの大会。準備不足は承知の上で参加した大会は、ゴールに値する努力を払っていなかったという現実を示される大会だった。


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人生、曇り時々晴れがいい。

2019年1月25日金曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~㉑

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録㉑



前回までのあらすじ―。

ふとしたことから思い立った全日本トライアスロン皆生大会出場。奇跡的に抽選に受かり、わずか練習2か月で挑んだ大会。山形から1000kmを車にバイク他一式を積み込んで自走して会場入りした大会は、最高気温36度を超える灼熱のレースだった。
人生初の熱中症を体験したラン。エイドステーションで20分以上休憩を取り、ようやくレースを再開した。


ようやく再開したラン。

しかし、最初は体がどうなるかわからないので、まずは歩いた。200mほど歩く。そこで少しだけジョギングしてみる。1、2、3、4・・・。歩数を数えながら。100mほど走ったらまた歩く。体がどう反応するのか、心拍に以上はないか。

そうしたペースで10分ほどかけて、1kmを進んだ。この時点では体調に変化はない。よくもならないけど、悪くもならない。

そこで、もう少し走る距離を長くしてみる。200m走って、100m歩くペースに変更。少しだけペースも上がって次の1kmを9分で通過する。

この時点でも特に変化はない。ゆっくりなら走っても大丈夫そうだ。

休んでいたエイドを出てから20分ほどたって、ようやくずっと走り続けることにする。
でも、急激にはペースは上げない。ゆっくり、ゆっくり。走っているといっても、歩いていない程度のペースで進んでいく。次の1kmを8分ほどで通過。

そして、次のエイドに到着した。

スポーツドリンクを飲み、スイカを食べる。レモンはほおばるが塩はつけない。期待はせずに「氷をもらえますか?」と聞いたら、なんとここのエイドには大量にあった。それをビニール袋にもらって、首の後ろを冷やす。強烈に冷たい。

約1分そこで首を冷やした後、その氷を背中に流し込む。アウターの上から補給食を入れたベルトをしているので、氷は背中で止まっている。背中側と言ってもお腹まわりを冷やすのにはためらいがあったが、少しでも氷を体に触れさせたい。

最後に頭に氷水をかけてもらう。これは・・・すごい。一気に目が覚めた気がした。

3分あまり過ごした後、再び走り出す。さっきまでとペースは変えず。1km8分のペース。ゆっくりゆっくり。次の1kmは自然とペースが上がって7分30秒で通過。さらに次の1kmを7分ペースで進んでいたところで、次のエイドに到着した。

まだまだ頭には霞がかかっているような感じがあるが、心臓がバクバクするようなことはない。たぶん、もう大丈夫なんだろう。

エイドでの補給の仕方をルーティン化するべく、スポーツドリンクを一杯一気飲みした後、スイカ、レモンをほおばる。1個だけ塩をつける。そして頭に氷水。

ここでは1分ほどですぐに走り出した。ここからの1kmは7分丁度のペース。これならゴールまで行けるはずだ。

3時半にランをスタートして具合が悪くなったのが3時50分ごろ。4時過ぎにエイドについて20分を浪費。4時半から再び走り始め、次のエイドに着いたのが午後5時。この時点で6kmちょっと。残り36km。次のエイドに着いたのは午後5時20分過ぎ。残り33km。当初よりは厳しくなったが、1km7分のペースを保てば十分ゴールできる。

とにかく1km7分のペースを守ろう。そう思いながら走っていると少しずつ、頭の中の霞が取れてきた。回りが見えるようになってくる。信号待ちがあり、歩道橋を上って降りて、進路右側の歩道を走っていたのが左側の歩道を走ることになり・・・。前からは折り返してきた選手がやってきてすれ違う。ボロボロの自分とは全く違うハイペースだ。来年はこんなペースで走りたいなと思いながら、お互いに「ガンバ!」と声をかける。

特にペースは上げていないが、徐々に回復したおかげで元々の想定ペースに近づいていく。次の1kmを6分40秒で通過。このままいけば、1km6分のペースに戻れるかもしれない。

前向きな気持ちになったこの時、ふと足元を見た。そこで・・・気づいてしまった。

「あるべきものが無い!」

そう、左足につけていたアンクルベルトが見当たらない。これが無いとゴールできない!

頭が真っ白になった・・・。


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人生、曇り時々晴れがいい。

2019年1月24日木曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑳

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑳



前回までのあらすじ―。

ふとしたことから思い立った全日本トライアスロン皆生大会出場。奇跡的に抽選に受かり、わずか練習2か月で挑んだ大会。山形から1000kmを車にバイク他一式を積み込んで自走して会場入りした大会は、最高気温36度を超える灼熱のレースだった。
順調な滑り出しを迎えたラン。しかし、スタートからたった2kmでレース中最大のトラブルが発生する。フラフラになりながら、ようやくエイドにたどり着いたが・・・。


ようやくエイドステーションにたどり着いた。すごいハイテンションのボランティアの女子高校生が、「私苗字一緒なんですよ!遠くから来たんですね!頑張って!」と話しかけてくれる。

どうやら、ゼッケンから選手の名前を調べ、一人ひとりに声をかけているみたい。とっても素敵な対応。そして、今思い出しても心が暖かくなる声だった。

・・・それなのに、その時の僕は同じテンションで返答できる余裕もなく「水、水、ください。それと氷。ごめん、具合悪くてお話できない・・・」とぼそぼそと返すだけだった。今思い出しても心が冷たくなる。

それでも、「はい、どうぞ!」と言ってお水を差しだしてくれ、さらに、「氷だって。みんな、氷どこにある?」とまわりに聞いてくれる。そして、その声を受けたほかの高校生たちも一斉に探してくれる。なんて素敵なボランティア、運営なんだ―。

しかし、残念なお知らせが。これまで訪れた多くの選手に配ったため、氷はもうないという。板氷で冷やしていた水もすでに氷が解けて若干冷たい程度だった。

仕方がないが、とりあえずできることをする。電解質の多いスポーツドリンクをプラスチックカップ2杯ほど一気飲み。これがいいかはわからないが、体は水分を求めていた。

そしてビニール袋に一番冷たい水を入れてもらい、エイドステーションの奥の日陰に。ここで座り込み、首の後ろにビニールに入った水を置いて体を冷やす。ついでにその水をいくつか垂らして体にかけた。

こんなくらいではまだ全然だが、今度は大人のボランティアの方が話しかけてくれた。症状を伝えるとやはり熱中症と判断したのか、同じように冷たい水をビニールに入れたものを二つ作ってくれた。これを両脇の下に挟んでしばらくじっとする。

まだまだ心臓のバクバクが止まらない。併せてこのままではゴールできないんじゃないかとの不安が大きくなる。どうしよう。どうしよう。体は動かないが内心はいてもたってもいられなかった。

そうしているうちに、男性のボランティアが氷を見つけたと言って持ってきてくれた。どこかの容器の底に少しだけ残っていたらしい。探してくれた気持ちがありがたい。

早速その氷をビニールに入れて両脇に挟む。先ほどまでの水とは全く違って冷たい。すごく冷たい。当たり前だけど・・・。

そうしてしばらく動かずにいた。5分ほどは何もできずにじっとする。すると少しだけ話ができるようには回復してきた。ボランティアの方と話をする。リタイアするか聞かれるが、もう少し回復させて何とか先に進みたいと告げる。

ボランティアの男性からは、残り2時間の段階で折り返しポイントを通過できないと回収されると伝えられる。今の時間は午後4時20分。午後7時までに17km先の折り返しポイントに行かないといけない。しかもその後はハーフのベストに近いペースで走らないとゴールにたどり着けない計算だ。

さすがにそれは無理なので、何とかもっと早く行けるか考える。まず思いつくのは、準備のために着込みすぎていたこと。上半身はインナー+腰サポーター+アウターを着ている。これでは放熱がうまくいかない。そのため、インナーは脱いで捨てることにした。

さらに5分氷をあててじっとする。

すると、またもう少し回復してきた。

着替えくらいはできる元気が出てきたので、インナーを脱いで走りだす準備をする。汗と水で濡れたおっさんの下着なんて汚くてごめんなさいと謝りながら、ごみ用のビニール袋に捨てさせてもらった。

1枚脱ぐとやはり涼しい。ここでさらに氷が追加された。またどこかから探してもらったみたい。本当に、本当にありがたい。

この氷を首の後ろに置いてさらに5分・・・。

ようやく、歩くことくらいならできるんじゃないかというくらいに回復してきたみたいだ。エイドステーションに来てから約20分が経過した。本当はもっと回復するまで休むべきなんだろうが、ゴールできないことが不安なので先に進むことにする。

途中で倒れることだけはできないので、自分の体の具合を確かめながら、決して無理をしないことに意識を集中させないといけない。

先ほどもらった氷は首の後ろに置いたまま、最後にスポーツドリンクを一杯飲み、さらに水を頭にかけてもらい、エイドステーションから一歩踏み出した。


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人生、曇り時々晴れがいい。

2019年1月23日水曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑲

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑲



前回までのあらすじ―。

ふとしたことから思い立った全日本トライアスロン皆生大会出場。奇跡的に抽選に受かり、わずか練習2か月で挑んだ大会。山形から1000kmを車にバイク他一式を積み込んで自走して会場入りした大会は、最高気温36度を超える灼熱のレースだった。
予定の1時間遅れでバイクフィニッシュするも、残り6時間余り。最後のランパートが始まった。


皆生大会のトランジットには、タイム計測のチェックポイントが無い。このため、バイクのタイムは、バイクを終えてトランジットに入ったタイミングで計測。トランジットも含め、ゴールまでの時間がランパートのタイムとなる。

このため、トランジットを抜けてランコースに入る時には、何もチェックされず。ただ、トランジットを抜けたところには、ランコース最初のエイドステーションがあった。

これは助かる!バイクパートの最後をほとんど給水できず、さらに10分以上トランジットでランの準備をしてしまった。30分ほどは水分摂取ができていない時間帯が発生したことになる。

ここではボトルではなく、プラスチックのカップに飲み物が入っている。コーラとスポーツドリンクを一気飲みする。さらに水を頭にかけて、塩をつけたレモンをほおばる。1つ。2つ・・・。

しかし、皆が塩レモンを食べているため、塩が濡れて固まってしまい、ほとんど取れない。それを見かねたボランティアの方が、新たに塩を追加してくれた。これをたっぷりとってレモンと一緒に最後に一つを口に運んだ。

後から考えると、これがいけなかった・・・。

エイドステーションを抜けて走り出す。あれ、体が軽い。

実際には8時間以上経過しているので疲れているんだけれど、思っていたより体が軽い。

通常、バイクパートからランパートに移ると、自分の体じゃないみたいに重く感じるもので、その感覚をなくすためにもクロストレーニングをしているんだけど、本当に軽かった。

たぶん、トランジットに時間がかかっていたので多少なりとも疲れが取れたこと、また、キネシオテープを貼りまくった効果が出ていたんだと思う。

これならいけるんじゃない?すごく前向きな気持ちになりながらも、慎重に慎重にと言い聞かせ、とりあえず最初の1kmはキロ7分で通過。海岸沿いから町場の方に曲がって大通りに向う。2km通過もキロ7分ペース。

特につらくない。これならいけそう。徐々にペースを上げていこうと思ったその時、それは突然来た―。


急に気持ちが悪くなる。吐き気がする。何より喉が渇いた。

なんでだ?ついさっき飲んだばっかりじゃないか。

しかし、心臓の音が急に大きく聞こえるようになる。早鐘のようにバクバクバクバクと言っている。とてもじゃないけど走っていられない。

なんだ?なんだ?なんだ?

急激な体の変化にパニックになる。さっき抜いて行った女性ランナーから抜き返される。
それでも体に力が入らない。

真っ白になった頭で最初に思い浮かんだのが、熱中症。

自分は今まで熱中症になった経験がないので、話に聞いた情報しかないが、どうやら間違いなさそう。とにかく喉が渇いた―。

交差点に立っているボランティアの方に次のエイドはどこにあるかを聞く。
あと1kmほど先だという。

遠い。

今の自分にとっては100m先でも遠いのに、1km。歩いたら10分以上かかる。
どうする?

でもここで座り込んでも何もできない。熱中症ならエイドで体を冷やさないと大変なことになるかもしれない。


仕方ない。とにかく歩く。一歩一歩足を進める。まさか、さっきまであれほど好調に進んでいたのに。ああ、とにかく喉が渇いた。


ひたすら、喉の渇きに耐え、バクバクいう心臓の音に不安を募らせながら歩いた。
今はタイムを気にする時ではない。何とかエイドステーションまでたどり着いて立て直さないといけない。

原因を考える―。考える・・・考える・・・塩だ。

ランパートに入った時に舐めた塩。レモンと一緒に大量に摂取してしまった塩。これが対内の塩分濃度を急激に狂わせたのに違いない。

それまで、バイクパートでは、大量の汗をかいて、その汗が走っているときの風で乾かされることで体温が下がっていた。そのため、36度を超える灼熱のレースでも熱中症にならずにすんでいた。

しかし、ランでは時速10kmも出るか出ないかのペースでしか走れない。そのため、熱の発散がうまくいかなくなった。

さらに、塩をなめすぎたため、体内の塩分濃度が上昇。当然体は均衡を保とうとして、体内の水分量の減少を抑えようとする。つまり、汗をかかなくなる。

良く、塩分の取りすぎはむくみにつながるという話を聞くと思う。これは、高くなった塩分濃度を何とか平準化しようと体が水分を貯めようとするからだ。

汗が出ない。さらに風に当たらない。こうした二つの原因から、体温が急激に上昇―。

その結果の熱中症症状だ。

この分析はほぼ正しいと思う。
レース後、循環器と高血圧を専門にしている医者の友人に、当時の状況と分析を伝えたところ、概ね同じ意見だった。

分析はできたが、対策は取れていない。

喉が乾いているということは、体内の水分量が足りていないということ。何か飲んで塩分濃度を下げ、汗が出るようにする。そして体温を下げる。

とにかく、体温を下げないことには何も始まらない。そのためには、エイドステーションに何とかしてたどり着かないと。

遠くにボランティアの人が何人か集まっているのが見えてきた。あれがエイドステーションか・・・。

見えているのになんだかよく見えない。まっすぐ歩いているはずなのに、進路右側にある家の壁にぶつかりそうになる。

あと200m。あと100m。

まさにふらふらの状態で、何とか何とか、エイドにたどり着いた。


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人生、曇り時々晴れがいい。

2019年1月20日日曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑱

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑱



前回までのあらすじ―。

ふとしたことから思い立った全日本トライアスロン皆生大会出場。奇跡的に抽選に受かり、わずか練習2か月で挑んだ大会。山形から1000kmを車にバイク他一式を積み込んで自走して会場入りした大会は、最高気温36度を超える灼熱のレースだった。
当初見込んでいたペースでは全然走れず、予定の1時間遅れでバイクフィニッシュした。しかも、遅れと暑さはトランジットで致命的なミスを誘発した―。


当初予定よりも1時間遅れでバイクフィニッシュ。それでもバイクでは結構順位を上げていた。スイムを上がった時点では、後ろに20人くらいしかいなかったが、バイクパートで100人以上を抜くことができ、700位台まで到達(低レベルの話だけど・・・)。

広いトランジットエリアながら、迷うことなく自分のバイクラックを見つけることができた。バイクをラックにかけヘルメットを脱ぐ。バイクシューズからランシューズに履き替えて着替え用のテントへ。

なんといっても初めてのフルマラソン。頭をよぎるのは初めて出場したハーフで、18kmを過ぎた時点で左の膝が痛くなり、残り3kmを30分以上かけてゴールした苦い記憶。
そうならないように、キネシオテープで厳重にテーピングを施すことにしていた。

テープを貼るのは、足裏の豆対策とアーチを確保するための1枚。ちょうど土踏まずの位置に左右1枚ずつ貼る。次いでかかとからアキレス腱、ふくらはぎに伸びるように1枚。さらにアーチをしっかりとさせるために、8の字を描くように足の裏からアキレス腱の上、ふくらはぎにかけて貼った。アンクルバンドが邪魔になるので一度外す。

このほか、膝の痛みを予防するために、大腿四頭筋の内側と外側から、膝の皿に沿ってふくらはぎに到達するように2枚。足の表と裏のバランスを取るために、ひざ裏からおしりにかけて、大体二頭筋に1枚。

合わせて片足6枚ずつテーピングを施した。

テープは前日にキチンと長さをそろえて切っておいたもの。ただ、暑さで朦朧としてしまい、間違ったところに貼ってしまってはいけないと、テープにそれぞれ右の1枚目はr-1、2枚目はr-2などと番号をふっていった。

これが正解だった。普段なら、長さを見ただけで絶対に間違えないテーピング。なのに、どれがどこに貼るものだったのか、まったくわからない。なんだか、酒に酔っているのに自分は素面だと思い込んでいるような状態。正直、ここまで頭が働かなくなるとは思っていなかった。

真夏の大会で、8時間以上ぶっ続けで動き続けるとこうなるということも非常に大きな発見。これからロングの大会に初めて出ようという人は、こういう状況も想定して準備をすることをお勧めします。

番号に沿って1枚1枚丁寧に張っていく。しかも、汗で取れてしまわないよう、しっかりと粘着スプレーを吹きつけながら作業した。僕は汗を大量にかく上、足が(足だけでなく全身が)毛深い方なので、テープが簡単にはがれてしまう。そこで、山形のスポーツ用品店の店頭ではなかなか売っていない粘着テープをアマゾンで購入し、持ってきていたのだ。

約10分かけてテーピング終了。念押しのためロングタイツもはく。これでほぼほぼはがれる心配はないだろう。最後にニプレス替わりに乳首にも5センチほどに切ったテープを貼りつける。

おっさんの乳首なんて汚い話ですみません。でも、女性と違って男性はブラをしているわけでないので、結構すれるんです。オリンピックディスタンスの10kmのランでも、何のケアもしていないとゴールの時に血だらけになっていたこともあるくらい。ワセリンをしっかり塗ってはいるものの、それだけでは心配で、張り付けた。

そしてもう一つの懸念が腰の痛み。これに備えるため、腰のサポーターも巻く。サポーターも汗でこすれたりしないよう、インナーウェアを着た上でという念の入れよう。

ずいぶんな重装備になってしまった。それもこれもすべて、初めての距離に対する不安や恐怖を追い払おうとして行ったもの。こうした準備自体は間違ってはいないことなんだけど、結果としてはこの作業が最悪の事態を引き起こすことになった。

全ての準備を終え、着替えテントの中に散乱していたキネシオののり紙やらバイクパンツやらを袋にいっしょくたにしまう。その時、薄い横幕ごしに隣の女子用テントから、「あと6時間もあるからゴールは楽勝よ」なんて声が聞こえてきた。どうやら同じくらいのタイムでランに移行しようとする選手らしい。「皆生のランはアップダウンがほとんどないからもう大丈夫よ」なんて声も聞こえる。

どうやら過去にも皆生の大会に出場していた人らしい。
そして、そうした経験に裏打ちされた人の言葉に、正直ほっとする。6時間あれば、普通は完走できると考える。ハーフは1時間50分くらいなのだから、2時間かかったとしても21kmを4時間。ずーっと歩いてもゴールできるペースだ。そう。大丈夫。大丈夫なはずなんだ。ずっと言い聞かせていたが、それでも経験のないことが本当にできるのか、不安が先に立ってしまう。

そうした不安が少しだけ軽くなり、長くも短いランパートへの一歩を踏み出した―。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。

2019年1月18日金曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑰

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑰



前回までのあらすじ―。

ふとしたことから思い立った全日本トライアスロン皆生大会出場。奇跡的に抽選に受かり、わずか練習2か月で挑んだ大会。山形から1000kmを車にバイク他一式を積み込んで自走して会場入りした大会は、最高気温36度を超える灼熱のレースだった。
残り40kmは天国だと聞いていたバイクパート。しかし、いつまでたってもアップダウンが終わらない。しかしそれも残り15km。いよいよゴールが見えてきた―。



ついに市街地が見えるところまできた。ここからは本当にアップダウンがなくなる。だって、バイクパートのゴールは海だもの。しかも若干とはいえ下り基調なはず。ここまで時速23kmちょっとでしかないアベレージスピードを少しでも上げていきたい。

そう思って進んだのだけれど、ここで思わぬ敵が待っていた。「ホント、マジかよ!」って思わず叫んでしまったくらいの敵。それは・・・向かい風。

ロードバイクに乗っている人ならわかる、自転車の最大の敵。向かい風。アゲインストとか色々言い方はあるけれど、とにかく進もうとする正面からくる風。

これがあると無いとではスピードが全く違う。

たぶんこの時吹いていたのは、秒速1~2mくらいの弱い向かい風のはず。それでも、炎天下を125km走ってきた身には非常に応える。スピードは平地にも関わらず、そして結構頑張っているにも関わらず、時速25km~26km。

バイクの序盤、何だかペースが速いと思っていた原因が分かった。これだったんだ。行きは気づかないくらいの追い風。そのため、時速25km位で走っているイメージなのに時速28km位のアベレージスピードになっていた。その時恩恵を受けた分をここで支払う形か。

ここでようやく諦めた。

皆生のバイクパートで天国は来ない。劇的にペースが上がるようなおいしいところもない。

当たり前と言えば当たり前のこと。とにかく自分の力、それも、その一瞬頑張って絞り出すような火事場の馬鹿力ではなく、アベレージとしてその時に出すことができる最大の力が試される場所―。それが皆生なんだ。それが、ロングというレースなんだ。

それを、スタートから約7時間かかったこのタイミングでようやく悟ることができた。たぶんこの後のランも、決して楽になることや望外にうまくいくことなんかないんだ。

そう思って気持ちを立て直した。現時刻は午後3時ちょっと前。残る距離は10km。そうすると、3時20分ごろにバイクアップの計算。ランを6時間で行けば何とかゴールには行けるはず。

そのためには、これ以上無駄に踏ん張ってバイクで足を使いすぎないよう、時速25km出てれば良しとしてペースを維持。とにかくアベレージでエネルギーを消費していくようにする。

気温は相変わらず下がらない。さっきバケツの水を思いっきりかけられたけど、10分も立たないうちにバイクジャージは乾いてしまった。汗が滴ることもない。暑いことは暑いけれど、補給とのバランスは保てているので十分このままいける。

そう思って、最後にもらった大会のボトルから水を一口飲む。その時、何を思ったのか、歯で吸い口を咥えてキャップを開けて中身を見てしまった。なぜこんなことをしたのかわからないが、見たら、中に黒い斑点がたくさんある・・・。

なんだこれ!・・・・・・カビか???

大会運営の方ごめんなさい。たぶん大会用のボトルは1万本は用意されていて、中には若干古いものもあったんだと思います。その中の一つがうまいこと洗われていなかっただけだと思います。皆さんのあの献身的な大会運営にケチをつけるつもりは全くありませんが、確かにこのボトルの中には黒い斑点がたくさんありました。

それが何かを突き詰めることはありませんでしたが、このボトルの水はもう飲めなくなってしまいました・・・。

残る5km。水分補給をできるところはもうない。でもゴールまで10分くらい。もう一本の自分が持ってきた方のボトルは先に空になっていた。しょうがない。10分くらいは水を飲まなくても行けるだろうと諦める。

そしたら、突然左足の太ももに痙攣が来た。

別に何があったわけでもない。でもビクビクっと動いた。電解質が足りていないのか?急ぎ、塩飴を一つほおばり、ガリガリっと噛み砕いて飲み下す。

うわ、一気にのどが渇いた。

でも飲めないから我慢。後少しだ。

川沿いの道を過ぎ、市街地に入る。選手の誘導の為道路はけっこう渋滞。橋を渡り、最後の住宅街に。狭い道路。直角コーナーが続く。

そしてようやく。・・・ようやくバイクゴールにたどり着いた。

この時点で3時20分。

大丈夫、あと6時間ある―。絶対ゴールできるはず!!




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2019年1月16日水曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑯

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑯



前回までのあらすじ―。

ふとしたことから思い立った全日本トライアスロン皆生大会出場。奇跡的に抽選に受かり、わずか練習2か月で挑んだ大会。山形から1000kmを車にバイク他一式を積み込んで自走して会場入りした大会は、最高気温36度を超える灼熱のレースだった。
バイクパートでは、長い上りに心が折れそうになりながらもコース中の最高到達点をクリア。バイクの残りは40kmだ―。


ラスト40km。

ただ、この時点で想定していたタイムより、かなり遅れている。当初の予定では、スイム3kmを1時間半で上がる(これはクリア)。
バイクをアベレージスピードで25kmでクリア。計算上は5時間半くらい。なので、バイクパート終了時点で、7時間の想定。午前7時のスタートに対し、午後2時にはランに移っているはずだった。

それが、残り40kmの時点で4時間45分経過。このままだと、想定より1時間くらい遅くなってしまう。

午後2時にランに移行できていれば、ハーフを2時間くらいなので、サブ4は無理にしても5時間あればゴールできるかな・・・と思っていた。どんなに遅くても6時間あればゴールはできるはず。そうすると、午後8時ごろに余裕をもってゴールしている計算だ。それが今のペースでは6時間かかった場合は午後9時。猶予は30分しかない。

結構やばい。やばいけど、残り40kmは天国と聞いていた。きっと下り基調になるはずだ。確かにスタートから20km位はほぼ平地だったし、そうすると残りアップダウンが多いのは残り20km。ここもそれほどではないはず・・・。

色々と頭の中はタイムの計算というか、妄想というかが繰り広げられる。これ以上のペースの遅れは許されないかもしれない。いや実際にはこれでも余裕があるはずなのだから、そこまで心配しなくてもいいはず。とはいえ、最後のランは人生初のフルマラソン。本当に5時間で走り切れるのか―?

このころの気温は36度。天気は業界用語でいうところのピーカン。雲がほとんどない快晴―というと聞こえがいいけれど、要は典型的な猛暑日だ。
文部科学省(でしたっけ?)が「屋外での運動を原則禁止すべき」として、外で行う部活動などが規制される気温になっている。

けれど、不思議と暑さを感じていない。いや、正確に言うと暑さに慣れてしまって、苦しいとかがなくなってしまっている。
実はかなり危険な状態だったのかもしれないけれど、そういう感覚しかなかった。

これは、その頃になるとエイドステーションでの補給、30分毎の補給、さらにエイドステーションまでの時間を逆算してボトルの水を肩や首筋にかけての体温調整など、諸々の作業が完全にルーティン化したためだと思う。

エイドステーションでは、コーラのボトルを一気飲み。さらにスイカを2切れ、レモンに塩をつけたものを2切れ口にする。バナナなどの固形物は胃の負担を考え避ける。そして持ってきたボトルにはスポーツドリンクを補給(約600ml)。大会のボトルには水を入れ(約450ml)、こちらは口直しと体にかける用。あれば氷も入れてもらう。

30分毎の補給は、お腹の状態などは完全に無視して時間になったら機械的に行う。前日に買っておいた補給食はすべて使用。さらにもらった粉飴の小分け袋を飲み下す。

これがまずい。本当にまずい!なんでこんな味をしているんだと思うくらいまずい。

いや、粉飴を使うのが初めてで、なおかつきちんと使い方を呼んでいなかったのが悪いだけで、メーカーさんには何の落ち度もないんですけどね。大会終了後、ちゃんと説明書きを読んだら、これはボトルに入れて水に溶いて飲むものだったのね。それをジェル状の原液のまま飲んだら、そりゃまずいはず。

そうしたことを繰り返しながら、終盤のコースを走っていく。

しかし―。

最後の折り返しを過ぎても、天国は訪れなかった。

そう。それまでのアップダウンと同じく、ひたすら上り下りが続く。上りは前半から中盤ほどの力を出せず、時速10km前後のスピードに。それでも何人も選手を抜いていける。下りは時速50km位まで上がるが、60kmに届かない。その前に次の上りが来てしまう。

さらに、一時停止と赤信号がうまいタイミングで現れる。そんなに回数が多いわけではなく、実際には3回とか4回くらいしか止められていないんだけど、とにかくペースが乱されるのがつらい。そしてペースは依然上がらない。

100km時点でのアベレージは時速22.5km。それがようやく時速23kmを超えるくらいまでしか回復しない。25kmとはいかないまでも24km位になってもらわないと・・・と思うが、またも目の前に上りが来る。

もうこれが最後の上りのはず・・・。と思って上り切り、下りを走っているけれど次に平地は訪れずまたも上り。そして不思議なことに上りで前の選手を抜いていける。正直上りはかなり苦手意識があって(体重75kmなので・・・)、逆に下りが早いはずなのに、自分より10kg以上軽そうな人たちを次々と抜ける。

良く見ると上りで左右にフラフラしている。ペダルを踏むたびに体が右に左に揺れている。一方、自分の方はそういうことはなく、どっしりと淡々とペダルを回している。この違いが上りで抜ける理由かもしれない。

皆さん、上りはフォームの良しあしが最終的には大きな差になるかもしれません。

そんなことを考えながら、約1時間ひたすら上り下りを繰り返すと、ようやく人家というか建物が遠くに見えてきた。ようやくアップダウン区間が終わったのだ。

残り15km。今は山沿いにいてトランジットは海岸。もう下りしかない(はず)。最後に少しでもペースを上げてランにつなげたい。ボトルに補給を終え、ダンシングしながら最終のエイドステーションを後にした。


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2019年1月12日土曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑮

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑮



前回までのあらすじ―。

ふとしたことから思い立った全日本トライアスロン皆生大会出場。奇跡的に抽選に受かり、わずか練習2か月で挑んだ大会。山形から1000kmを車にバイク他一式を積み込んで自走して会場入りした大会は、最高気温36度を超える灼熱のレースだった。
バイクパートに移行し、50kmまでは順調な滑り出し。しかし、その後の長い上りに心が折れそうになりながらも登り切った。ようやく補給も行い、後半戦に突入したー。


バイクパートの後半はジェットコースターと呼ばれるコースが続く。要するに上り下りが繰り返されるコースということ。とはいえ、どの程度の上り下りなのかは行ってみないとわからない。ここまで、思ったようにペースを上げることができていないので、何とかここでペースアップを果たしたい。

とはいえ、通常、アップダウンがあるコースと平地のコースの場合、平地の方がペースが早くなるので、期待はできないが・・・。

小学校の算数の問題みたいだけれど、例えば、時速30kmのスピードで巡航できるとすると、15km進むのにかかる時間は30分。
これが、上り5km、平地5km、下り5kmのコースがあって、平地は同じ時速30kmのペースで走れるとして、上りは半分の時速15km、下りは倍の時速60kmで走れるとする。

一見、同じスピードで走れそうな気がするけれど、これが間違い。
上りの5kmを時速15kmで走ると20分かかる。平地の5kmは10分。この時点で30分かかっている。下りの5kmは5分で走り抜けられる計算になるが、計35分。

上り下りがあると、下りのスピードアップ分では、上りのロスを上回れない。

けれど、これが500mの下りの後に500mの上り、そして平地が500mとなると話が変わってくる。下りのスピードアップ分の勢いを使って上るので、上りのロスが減る。斜度にもよるけれど、500m下って時速60kmまで加速していた場合、上りは200m位まではだんだんスピードが落ちて平地の巡航速度くらいになり、上りの時速15にまで落ちるのは最後の100m位。ここはダンシングで頑張ればそこまでスピードが落ちることなくクリアできるので、平地と同じくらいの時間で通過できてしまう。

こうなることを期待して後半戦に入ったのだけれど、そうは問屋が降ろさなかった。皆生大会は、交通規制が敷かれていないことは前にも書いた。そのため、一時停止の標識や、信号機があると赤信号では止まらないといけない。

これが絶妙なポイントにある。

下りに入ってスピードが上がった勢いで、次の上りに入りたい時、下った先に一時停止の標識があることがある。そうすると、せっかく時速60kmまで加速したのに、急ブレーキをかけて一時停止。そして上りを時速0kmから進まないといけない。

また、同じく下りで加速してきたのに、わずか50m前で信号が赤になることも。
ロードバイク乗っている人ならわかると思うけど、これが悲しい。本当に悲しくなる。
時速60km→0kmを何度繰り返したことか。

それでも何とか、最後の折り返しを通過。

エイドステーションの方から、「ここからは最後天国だぞ」と言われて送り出された。

残り40kmちょっと。
想定よりは遅れているが、完走が危ぶまれるようなペースには一度もなっていない。ある意味順調に距離を積んでいる状態だ。

このまま何事もなくバイクフィニッシュを迎えたい。



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人生、曇り時々晴れがいい。




2019年1月9日水曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑭

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑭



前回までのあらすじ―。

ふとしたことから思い立った全日本トライアスロン皆生大会出場。奇跡的に抽選に受かり、わずか練習2か月で挑んだ大会。山形から1000kmを車にバイク他一式を積み込んで自走して会場入りした大会は、最高気温36度を超える灼熱のレースだった。
バイクパートに移行し、50kmまでは順調な滑り出し。しかし、その後の長い上りに心が折れそうになりながらも登り切った。しかし、距離はまだ半分残っている。



あと200mで下り―。

その声に鼓舞され、力を振り絞る。・・・しかしこれ、今思うと振り絞る力が残っていたということだ。その直前まではいつ足を止めて歩くかを考えていたというのに、現金なもので、間もなく終わりと聞くと頑張れる。要は気持ちの持ちようで頑張れるときとがんばれないときがあるということ。

これは、仕事や人生の色々なところでも出てくることだと思う。終わらない仕事やタスクの数々。毛できないと思ったことでも、何かのきっかけでもっと頑張れるようになる。

別に精神論を言いたいわけではなく、結局のところ、モチベーションを上げる「仕組み」をどう自分の中で作るかということなんだと思う。自分の力で、自分の心でモチベーションを上げていくのは難しい。けれど、例えば友人に「○○○○」をやると宣言することで、「途中で挫折すると恥ずかしい」という状況を作る。これも、一つモチベーションを上げる方法だといえる。こういうことを一つ一つ積み重ねていくことが、様々な壁を乗り越える力になるんだと思う。

この時も、確かに壁を一つ越えたと実感できる瞬間だった。残りの200mを走り切り、下りに入る。それまで、下手をすると時速10kmを下回るようなスピードで走っていたのと違い、40km以上にスピードが上がると、風を受けて気持ちがいい上に、汗が乾き体温が下がる。

そうすると、それまでぼんやりしていた頭がすっきりしてきて、色々なことに目が向けられるようになる。まず、アベレージスピードが上りに入る前は、28kmほどだったのが、22km前後に落ちている。これは下りが続けば回復できるはずだけれど、結構ペースが落ちていた。

また、残りの距離が約半分。70kmほど残っている。補給のリズムがずれているので、次の補給時間から立て直しが必要だ。それと、下りながら回している足に少しずつ力が戻ってきた感じがする。疲れから一気に足が止まった50km過ぎの落ち込みから、脂肪燃焼+補給した糖質の消費エネルギーで体を動かすサイクルがうまく回り始めたことが要因だろう。ここが一つの壁を乗り越えたということだ。

思ったよりも短い下りが終わり、小さいアップダウンが続く。水はボトルに入っていない。水分補給ができないのが痛いが、スピードが出ている分、暑さをあまり感じなくなっていて我慢できる。

そうして走ること15分あまり。ようやく、ようやくエイドステーションが見えてきた。

ここでは、これまでのような軽い補給ではなく、一度しっかりと立て直すことにする。
まず、カラカラに乾いていたのどを潤す。渡されたボトルのふたを開けてまずはコーラを一気飲み。さらにスポーツドリンクを一本飲んだ。

ぷは~~~!生き返る!!

飲んだ瞬間全身から汗が噴き出してくる。もう体中の毛穴という毛穴が開きまくっているので、汗の出方が半端ない。レース中にもらえるボトルを水で満タンにすると、持参してきたボトルには、クエン酸入りのドリンクの粉末を溶かす。これ、本当は1リットルの水に溶かすものなんだけど、600mlのボトルに入れて濃いめのドリンクにする。もう一本の水と一緒に使えばちょうどいいだろう。

また、エイドステーションに置いてあった、レモンに塩をつけてほおばる。これが不思議なもので、いつもならレモンにかじりつくなんて酸っぱくてできないのに、全然酸っぱくない。八朔とか、ちょっと酸っぱい柑橘系の果物を食べているくらいにしか感じない。

やはり、体が必要なものを欲しているということなんだろうか。

最後に頭に氷水を賭けてもらう。全身にかけてもらってもいいんだけど、バイクシューズが濡れると足の裏の皮がふやけてしまい、ランで豆ができるのを避けるために全身は濡らさないように気を付けていた。

補給のジェル、そして会場にあったスイカがうまい。こちらもいくつかほおばり、バナナをほおばったら、お腹がタプタプになった。大丈夫か?

何はともあれ、このエイドステーションでしっかりと補給できた。バイクパート後半、ここから正念場だ。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。

2019年1月6日日曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑬

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑬



前回までのあらすじ―。

ふとしたことから思い立った全日本トライアスロン皆生大会出場。奇跡的に抽選に受かり、わずか練習2か月で挑んだ大会。山形から1000kmを車にバイク他一式を積み込んで自走して会場入りした大会は、最高気温36度を超える灼熱のレースだった。
バイクパートに移行し、50kmまでは順調な滑り出し。しかし―。


バイクパートが50km地点を迎えたあたりから、いきなり来た。

それまで順調すぎるくらいに順調だった道のり。遅いながらも確実にクリアしたスイム。思った以上のペースで走れるバイク。しかし、そのペースがメッキに過ぎないことが突然明らかになった。

呼吸はそれほど辛くないのに足が重い。そして何より、ロングライドで100kmを走ったころのような「どんより」とした疲れが全身を包んでいる。この感覚、バイクのロングライドをした経験がある人ならわかると思うんだけど、特にどこかがきついわけでも足が痛くなったわけでもないのに、ペダルをこいでいられない感じ。

ほんの数分前までは、ボランティアの皆さん全員に返事をしていたのに、急にそれが億劫になる。声が出ない―。

スタートから約4時間。今にして思うと、これがレース前に蓄えたエネルギーが切れたタイミングだったんだと思う。

もちろん、バイクパートに入ってからはきちんと補給をしていた。先輩選手のブログで、レース中、1時間に吸収できる糖質の量は40gが限界ー。と書かれてあったので、1時間に280kcalのエネルギー補給を計算し、30分おきにジェルを1つ口にしていた。

でも、この時の状況というのは、例えばの話、体内に100リットル分のエネルギーを蓄えていて、1分間当たり2リットルずつ消費していた時に、毎分1リットル分だけ補給をしていたら、100分後に体内に蓄積されているエネルギーがゼロになった・・・というようなものだと思う。

だから、これまで同様エネルギーの無駄遣いをしていると、もう貯金がすっからかんになっているので、同じことはできませんよー。とカラダに言われているような状況だ。

したがって、ここから先は1分間に1リットルの消費エネルギーのペースで行くか(ペースを落として補給と消費量の均衡を図る)、脂肪を燃焼させて1分間に1リットルのエネルギーを絞り出し、同じペースで行くかしかない。

けれど、これまでのレース中は糖質を主のエネルギーにしていたので、脂肪燃焼サイクルにうまく入れていなかったため、こうした苦しい状況になってしまったんだと思う。

たぶん、ロングのレースに出るような人たちは、普段の練習から脂肪燃焼サイクルがうまく回るような練習をしていたんだろうけれど、たった2か月半の付け焼刃だとそうはいかなかったわけです。

このあたりが、ロングのレースの本当に大変なところ。オリンピックディスタンスのレースや、ハーフマラソンのレースだとこういう状況に来る前にゴールできてしまうので、見えていなかった。

そして、こうした状況に追い打ちをかけるように、ここからコースの最高到達点に至る長い上りが始まった。

それまで25km前後のペースで走っていた時には感じなかった暑さが、時速10km前後になると途端にまとわりついてくる。地面からの照り返しが強烈だ。背中を直火であぶられている上に、下から蒸気で蒸しあげられているような感じ。

午前10時の気温は32度。上り坂に入る前に2本のボトルに満タンにしていた水は、すでに1本は空になり、もう一本も半分くらいしか残っていない。初めての参加なのでこの先どこまで上りが続くのかが分からず、水を十分に飲めていない。最初の方で体を冷やすのに使いすぎたみたいだ。

途中、気持ちが悪くなってくる。少しだけど吐き気もしてきた。熱中症になりかけているサインだ。やばい。水を飲む。でももうちゃぷちゃぷという音がボトルの底の方でするだけ、ほとんど飲んでしまった。

次のエイドステーションはいつなんだろう。ああ、前を走っている人たちが皆バイクを降りて歩いている。木陰で倒れこんでいる人もいる。ああ、木陰というか日陰が欲しい。でも道路の上には全く木陰が無い。山道なので民家もないし、そのために水を分けてもらうこともできない。

ああ、歩こうかな。これは厳しいかもしれない。水もついになくなってしまった。仕方ない、ちょっと早いけどジェルを飲んで水分を補給しよう。
うげっ。口の中がねばねばする。つばも出てこない。そういえば、汗かいてるはずなのに背中とかサラッさらに乾いてる。

ああ、本当にもう限界だ。本当にやばいぞ。あれ、救急車が止まっている。ああ、駄目だったんだな。僕もそうならないようにしないと。迷惑かけられないからな。次の交差点曲がってもまだ上り続いていたら一旦歩こう・・・。

朦朧とする頭で、こんなことを考えながら、なぜか立ち止まらずにペダルをこぎ続けた。

ーそんな時、ボランティアの声が聞こえた。

「あと200m上ったら下りだぞ」

天の声だ―。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。