2018年12月31日月曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑧

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑧


開会式~前日準備


開会式会場は何と2000人入る大ホール。米子市の人口が14万人くらいと聞いていたので、山形県内のどこのホールよりも立派なホールに驚愕した。

とはいえ、お昼時に着いたので、目の前のイオンに入っているお店で食事でもしようと、中にはいってみると・・・。

食べる場所が全然ない!サーティーワンアイスクリーム、ミスドは入っているが、肝心の食事処が全然なかった。仕方ないので、回りを歩いて調べてみても、ランチをやっている居酒屋すらない。
みんな、どこでご飯食べてるんだ?

仕方なく駅まで歩く。駅に隣接する食堂がようやくやっていたので、ここでうどんを注文。結構いい値段にうーん・・・。

気を取り直して開会式会場へ。会場内はまともに前に歩くのも難しいくらいの人の波。結構並んで受付を済ませた後、各種ブースを見て回る。



ランでの腰と膝に不安を抱えている自分としては、何かいいサポーターがあればと思っていたら、腰の疲労を軽減する腰ベルトの試着ができるとのことなので試してみる。つけてみると確かに劇的な変化を感じた!すごい!ここまで変わるなんて。

感動して価格を聞いたら約1万円。チーンという音が聞こえる気がした。
ひきつった笑顔で丁重に返却して別のブースへ。でも興味ある方、また、お金ある方ぜひ一度購入してみてはいかがでしょうか。コラントッテX1腰ベルト。

結局買ったのは(買えたのは)、エナジーバーの5本セット、1000円のみ。
これは、どこかで買わないといけなかったので、ちょうど良いと思って購入。
このほか、登録キットには粉飴なども大量に入っていたのでありがたく使うことにする(粉飴はちゃんと使い方を読んでおくべきだったと知るのはレース中)。





2000人が入る大ホールで行われた開会式は全員参加が義務と書いてあったので、まじめに受けたものの、参加できなかったからといってDNSになるわけではなさそう。直接話を聞いたわけじゃないけれど、マーシャルの方々が「あと〇〇人来てないけど連絡ついた?」「最悪明日の登録になっても仕方ないか・・・」などと話していたので、間違いはないと思う。

開会式には、知事をはじめ地元の国会議員も多数参加。挨拶が続いた。
仕事柄こうした挨拶を聞く機会は非常に多いので、お国柄の違いなどと非常に興味深かったが、一般の人たちにとっては、とても苦行の時間だったと思う。
それくらい挨拶は長かった。

            

その後、競技説明が行われた。

審判長?が軽妙な話し方でルールを説明していく。両肩にゼッケンを黒の油性マジックで書くこと―とのルールについて説明した時、審判長自ら「半袖や長袖のウェアを来ている人の場合、ゼッケンの数字は走っている間は見えないので、このルールに実効性はないんだけど、冬になってゼッケンの数字の形に日焼け跡があったら『ああ、夏に皆生のレースに出たな』って思い出すでしょ。第一回からのルールなので、皆さん、一応書いておいてください」と言っていたのが印象的だった。

毎年話しているだろう内容だと推測されたが、初めて来た人にとっては非常の新鮮。ああ、こういう人たちに支えられて大会が40年近く続いているんだなと実感した。

開会式終了後は会場の下見に出かける。開会式会場からスタート地点まで5kmくらいある。シャトルバスも出ているみたいだけど、こういう時に車があるというのは便利だ。いつでも好きな時に向かうことができる。




スタート会場は皆生温泉の海水浴場。海から上がってからバイクラックまでのトランジットエリアは結構距離がある。着替えを含めると10分くらいのトランジットタイムがかかると聞いていたが、確かにウェットスーツを脱いで、バイクパンツに着替え、バイクウェアを着て・・・となるとそれくらいかかるかもしれない。もちろん速い人は3~4分で終わるんだろうけど。

バイクコースも下見したいけど、残念ながらこれから140kmも走る気にはならない。翌日用の買い物を済ませて宿に戻った。

宿は予想通りというかなんというか、宿泊客のほとんどがレース関係者みたい。おじさんとおばさんが2人でやっているこちらも年代物のビジネスホテル。フロントで案内された駐車場に行ってみたら別のお客さんがすでに駐車していて止めるところがない。

仕方なくおじさんに説明すると「そんなわけはない」と怒鳴られる。なんで客なのに怒られているのかわからないままおじさんと一緒に駐車場に。すると「車体を半分車道にはみ出す形で止めれば止められるだろう」という。

おいおい、それじゃ警察に切符切られたときどうするんだというと、現地の方言で早口でまくしたてられたが、正直何を言っているのかわからない。それを伝えると今度は「こんな簡単なことがわからないなんてお前はなんて馬鹿なんだ」と再度怒鳴られる。

いやいや、わからないのはおじさんの方言であって、標準語で話してほしいんだけど・・・と堂々巡りになっていたら、同じ駐車場内に止めていた別の選手の方が、見かねて自分の車を少し動かすから空いたスペースに止めたらいいよと言ってくれた。

心優しい選手に感謝!レース当日も感じたが、こういう方が本当に多かった。お互いに親切にしようとしている姿がたくさんの人から感じられた。

宿のおじさんの態度も、ここまで突き抜けて理不尽だと腹も立ってこない。一種外国に旅行に行った際に感じるような寛容さで受け入れてしまった。そうでなければこちらも腹が立って大変だったと思う。

夕食は、回りに居酒屋がたくさんあったけれど、さすがに行く気になれず。スーパーで買った弁当と総菜で済ませて9時前に早々に床についた。


ここまでお読みいただいてありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。

2018年12月30日日曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑦

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑦


7月13日。

山形は朝からまずますの天気。日差しもそれほど強くなく、暑すぎない。
朝から晩までの長距離ドライブをするには良い天気だ。

朝、学校に行く子供たちを送り出した後、自分も出発。本当なら早朝6時くらいから出かけた買ったけれど、前日まで出張で札幌にいっていて、帰宅できたのが夜の11時。
そこから荷造りを始めて風呂に入り、ようやく床についたのは夜中の1時になってしまった。

サラリーマントライアスリートのつらいところだが、こればかりは仕方がない。それでなくても土曜日のイベントの設営を同僚に任せてきているので文句も言えないし。

何やかやあってもようやく9時半ごろ、山形を出発して国道13号を南下。南陽市から国道113号に入り、小国町経由で新潟を目指す。

新潟でも国道7号をひた走り(高速に乗るか最後まで迷ったものの、結局下道で行くことにした)、
夕方6時すぎ、富山市を抜けたあたりで夕食。一人カーボナイズと称してラーメン屋で夕食。
朝家を出て以来、誰ともしゃべっていない。

約9時間の運転で結構体中がこわばっている。だが、今日の目的地はここではない。
明日、できるだけ下道で行くためにも、今日のうちに距離を稼いでおきたい。

食べ終わるとすぐに出発。帰宅ラッシュの国道は非常に混んでいて、なかなか前に進めない。ようやく石川県に入ったのは完全に日が暮れてから。コンビニでの休憩中、本日の宿をどこにするか検討し、webで予約を入れる。

福井市内に一泊3000円という格安のビジネスホテルを発見。ポイントを使って支払は実質0円だ。頑張ってあと70kmほど走ることにした。併せてガソリンも給油する。さすがに片道1000km。18年前の車ではノンストップで行けない。今のプリウスとかならいけるのかもしれないけど。

JR福井駅からほど近い宿には夜11時過ぎに到着。実に14時間を(途中休憩あったとはいえ)運転してさすがに疲れた。考えてみたら前日も5時間弱しか寝ていない。

宿はやはりというかなんというか、想像していた通りの年代を感じさせる作り(最大限の賛辞)。
ベッドはかび臭く、エアコンは窓付けでオンにするとガオンガオンとよくわからない轟音を立てる。夜中にこの音はとなりの部屋に迷惑ではないか?とは思うが、部屋の中は蒸し風呂のような暑さだし、ごめんなさいを言ってしばらくつける。

本当は湯船につかりたかったが、部屋付のバスはシャワーのみ。軽く汗を流して早々に床についた。


翌朝。
望外によく眠れて、すっきりと朝5時半に起床。何といっても今日は午後2時からの説明会に出ないといけない。朝食付きのプランながら、朝ご飯は7時過ぎにならないと出ないとのことなので、泣く泣くコンビニで朝食を買う。

次いで、とうとうここで明日のレースに備えて高速に乗ることにした。下道だと残り350km。高速だと残り450km。100km余計に走ることになるが、下道が混んでいた場合、最悪送れる可能性がある。さらに、平均50kmで走れたとしても7時間のドライブは、さすがに翌日のことを考えるとよくないだろうと思い(すでにこれまでの移動の仕方も問題があるが・・・)、苦渋の決断(+5000円の出費)だった。


朝6時に出発して高速に乗ったのが6時半、そこからは快適なドライブに。
途中片側1車線になるところで遅い車の列に引っ掛かり、時速60kmでのろのろ運転を強いられた以外は信号なしのノンストップ!さすが!高速最高!!

出発から5時間足らずで、決戦の地、鳥取県米子市に到着した。


車から降りたってすぐに思う。暑い。これは厳しい戦いになりそうだ。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

人生、曇り時々晴れがいい。

2018年12月29日土曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑥

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑥


ぎっくり腰から1週間。

ようやく運動を再開した。

最初は3種目の中で最も腰に負担が少ないバイクから。30kmちょっとの距離を1時間半くらいかけて走る。

特に腰に問題はない―。

ということで、ここから本格的に運動を再開した。翌日も2日連続のバイク練を65km。
ジムで筋トレとストレッチ、スイムと進めたのち、ようやくランの練習も再開。

仕事で動けない日もあったものの、6月は16日間を練習に費やした。週3~4のペース。

月刊走行距離は、5月がスイム1.1km(やばい)、バイクが329km、ランが49km。
ぎっくり腰で走れない週があった中、このくらいが限界か。

6月は、スイムが8.8km、バイクが252km、ランが75km。
スイム練習がぼちぼち本格化したほか、フルマラソン対策としてのラン練習が多くなった。

食事面にも気を遣い、ビールの消費量も減らした結果、2か月で体重が5kg減。体脂肪率も5%減少した。明らかに体が軽くなった実感がある。

もちろん、こんな練習量を公開しておいおいという突っ込みたい人もたくさんいると思う。だけど、このくらいの練習量すらなかなかできていない、もしくは同じくらいの練習量しかできていないので、大会出場をためらっている人もたくさんいると思う。

多くの人たちは、十分な練習が積めたらレースに出場使用と考えるみたいだけれど、これは発想が逆だと思う。レースに出るための十分な練習などというものは、結果を出さなければならない事柄が無ければモチベーションが続かない。

モチベーションが続かなければ練習も十分に積めず、結果レース出場は先延ばしになる・・・の負のスパイラルに陥っていつまでたってもレース出場はかなわぬ夢になってしまう。

少なくとも、生来の堕落癖のある自分にはこうなることが目に見えている。

ただ、逆に無茶な目標に対して何とか帳尻を合わせるのは得意(これもダメな努力の仕方だとは思うけど)なので、今回の無謀とも思えるチャレンジを敢行した。

やはり、ニンジンがぶら下がっていないと走り出せないし、そのニンジンは「おいしいこと」よりも「できなかったらやばい」ことの方が何倍もエネルギーを持っていると思う。

そんなこんなで、何とかモチベーションを保ちながら練習を続けたが、それでも練習量はだんだんと落ちて行った。仕事が本格的に忙しくなった7月はなかなか思うような練習ができず、結果として疲れを取る形で本番を迎えることになった。

モチベーションの源となるニンジンにも賞味期限があるということか・・・。d


7月13日、いよいよ鳥取県に向けて出発した。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

人生、曇り時々晴れがいい。

2018年12月28日金曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~⑤

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録⑤


トレーニングを始めて2週間。

順調に体重が落ちてきていた。


最初の1週間で2kgの減量に成功。次の1週間はほぼ横ばいだったが、確実に筋肉がついてきている。筋肉は脂肪より比重が重いから、体としては締まってきたはず!
はじめは30回しかできなかった腹筋も、20回2セットをこなせるようになってきた(微々たる進歩!)

でも、こうしてちょっとしたことができるようになることが気持ちいい。
少しずつではあるが前に進んでいる実感がある。

2週間の練習量は、Swim2km(やべえ)、Bike200km(結構乗った)、Run30km(自分としてはまずます)。
このほかジムでの筋トレを2回。日々の補強練習は続けている。

順調に来ていた練習。しかし、落とし穴が待っていた。


5月20日。
この日は、朝から薪割り。我が家の冬を暖めてくれる薪ストーブにくべる薪を作っていた。
我が家で作る薪は、直径が40センチほどの大きさの木を使う。玉切りしたものを薪割り機に乗せるだけで一苦労だ。
1棚分ほどの薪を作ったところで、そいつはやってきた。

鈍い痛みが背中から腰にかけて走る。最初は気のせいかと思った。しかし、作業を続けていくと徐々に痛みが増してくる。
・・・来た。来てしまった。いつか来ると思っていた天敵のぎっくり腰だ。

すぐに整形外科に行った。先生からは「軽いぎっくり腰ですね」との診断。やっぱりだ。

軽いは言え、立っていることはもちろん、あおむけに寝ることもできない。
理学療法士の指導を受けながら、診察初日からリハビリを始める。

ここの整形外科は、スポーツ選手に特化したサービスを提供していて、部活でけがをした中高生たちがたくさん来ている。そんな子供たちに交じって40過ぎたおっさんが腰をイテテテ・・・とか言いながら伸ばしている光景は、小さいころにあんな大人にはなりたくなかった姿そのものだった。

ここで腰と、2年前に肉離れした左のふくらはぎのリハビリを行う。

腰のリハビリは、あおむけになって骨盤の脇から(腹斜筋と骨盤の間のくぼんでいるところ)親指を5センチくらいめり込ませてインナーマッスルをほぐすという荒業。痛い上にこんなんで大丈夫?と思っていたら、ほんの5分ほどであおむけで寝てても腰が痛くないくらいに回復。すげぇ・・・と感心した。

さらに、ふくらはぎは変な治り方をしてしまったため、筋肉が凝り固まっていてちょっとした疲労で金断裂を再発しかねない爆弾となっている。この凝り固まっているところをゴリゴリとされ、激痛に悶絶しながら治療を重ねること1週間。

ようやくトレーニングを再開できるようになった。


ここまでお読みいただき、ありががとうございます。

人生、曇り時々晴れがいい。

2018年12月27日木曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~④

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録④


トレーニングによって心が軽くなったからといって、体も軽くなったわけではない。
翌日にはしっかり全身筋肉痛になっていた。

とはいえ翌日は会社が休み。まずは長時間運動をし続けることに慣れようと、バイクにまたがった。


2か月間でロングのトライアスロンのレースを完走する体を作るために、トレーニングの柱と考えたのは3つ。

・体幹を中心とした筋力アップ(バイクの登坂力、ランでの正しい姿勢の維持)

・LSD(Long Slow Distance)をメインとした持久力強化(決して無理をしない運動強度)

・柔軟性の向上(けがをしない)

まずは、根本的な筋力不足が考えられる。昔は蔵王お釜までのヒルクライムを練習に取り入れたこともあったが、今では蔵王温泉にすらたどり着けない自信がある。
また、埼玉県までバイクで往復していた持久力もかけらもないはず。
さらに、そうした中で無理な運動を行えば、必ず疲労がたまりけがにつながる。

これらの課題を解決するため、筋トレを中心としたジムでの練習を週1回。
バイクでのLSDを週1回(会社が休みの日でないとなかなかできない)。
5km~10kmのラン(こちらもLSD・・・と言えるほどの距離は走れないのでJOG程度)を週2~3回。
計週5回の練習で、1週間の練習時間を10時間以上と設定した。

この練習量は、もちろん一線級で活躍している選手にしてみれば、リカバリー期間のメニュー量だろうし、エイジの強豪選手から見たら鼻くそみたいなものなのは百も承知している。

しかし、運動を全くしていない人がいきなりライ〇ップに行った程度にはボディメイクできるはず。
何より、最初に無理をしてきつくてモチベーションが続かなかったり、けがをして走れなくなる期間が出るのが致命傷だ。今の1週間は本当に貴重な時間なのだから。

こうしてみると、仕事の忙しさにかまけて漫然と過ごしてきたこれまでの日々が、なんと時間を無駄にしていたことだろう。こうした気づきを得ただけでも皆生に申し込んで良かったと感じた。


さて、練習2日目のバイクは、平地を中心に72km。途中の休憩も入れて約3時間。平均時速は24kmほどだった。自宅につくと同時に間髪入れず2kmのショートランに出る。

トライアスロンをやっている人なら必須のクロストレーニング。本当は10kmくらい走りたいんだけど、体力的にこれが限界。ふくらはぎがプルプル言ってて今にもつりそう。

その後柔軟をして練習終了。得意のバイク(自分の中では)。いきなりでも70キロ以上乗れた。
皆生のバイクはロングとしては短めの140km。この日の練習のたった2倍の距離でしかない。

あれ、全然行けるんじゃない?

たった2日間練習しただけで、すぐに調子に乗ってしまう。
そんなに甘いもんじゃないことに気付いたのは、2週間がたってからだった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

人生、曇り時々晴れがいい。

2018年12月26日水曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~③

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録③



たった2か月のトレーニングでロングのトライアスロンのレースに出るまで。


コンビニに皆生大会の参加料を支払い、これで後戻りはできなくなった。

しかし、支払を終えてから皆生大会まで2か月ちょっとしかない。
何度もいうけれど、この冬はろくなトレーニングもしていないので、これまでの筋肉貯金もない。
さらには、前の年まで5年間、運動とは無縁な生活を送ってきたこともあり、ろくに走れないことは分かっていた。

身長173cmに対して体重は78kg!晩御飯食べた直後には79kgを記録していた立派なメタボ体型の姿が、鏡の中から現実をつきつけてくる。

そのため、2か月の間は、いかに効率的なトレーニングを積んでいくかが重要になる。
トレーニングの量はもちろんだが、質を重視しなければとても体が仕上がらない。

しかも誰かにコーチをお願いしているわけでもないので、すべて、自分一人で自分の体と対話しながら進めなければいけない。
このため、ネットでロングのトライアスロンのレースに出るためのトレーニング方法を調べに調べ
まくった。

・・・その結果。



2か月で出るなんてアホすぎることが判明した。


ネットを検索すれば、数多くのトライアスロンのトレーニング記事がヒットした。
しかし、そのどれもが、ロングに出るには1年間は準備期間が必要と書いてあるし、半年間は本格的な「トレーニングを始めるための」準備期間に充てるべし・・・と言ってある。

2か月で出ようなんて人がいないため、そもそもそんな記事もトレーニング方法も書かれていない。

仕方ない。自分自身のこれまでの体験、自分の体との対話を繰り返していくしかない。

5月1日、まずは会社が法人会員になっているために、月4回までならタダで利用できるスポーツジムに行って、一人で現状把握に行った。

エアロバイクで約20分。一応、画面の表示上は10km走ったことになっている。
10分を過ぎたあたりから滝のような汗が流れ出る。
その後、ストレッチをしてランニングマシンに。時速9kmに設定して走り始めるが・・・2kmで息が上がった。3kmで腰が落ちてきた。何とかだましだましやって4kmで挫折。この間約30分。

想像してはいたけれど、想像以上にダメダメな自分の体にびっくりした。

練習を開始して約1時間。本当はこの後、スイムの練習をしたかったのだが、そんな気力はどこを探してもない。仕方なく、体のケアを兼ねて、きわめて軽い負荷での筋トレを行った。


この、軽い負荷での筋トレは、個人的には体のバランスを整えるのに非常に効果的だと思っている。もちろん、腹筋や背筋等、体幹の筋肉を鍛えるにはある程度負荷をかける必要があるが、僧帽筋等肩回りの筋肉や、首の筋肉、関節回りの筋肉等は、そこに筋肉があることをしっかりと意識して動かすことで、体の状態をより深くしることができるようになるし、色々な体の動きをするときに、どのように各部の筋肉が動いているのかわかるようになる。

何より、血流が良くなるので、肩こりや腰痛には効果覿面(あくまで個人の感想です)。
ストレッチと筋トレを兼ねる動きを行って体をいたわると、ぜいぜいと呼吸していた時は絶望的な気持ちになっていたのが、汗とともに憑き物が落ちたように心が軽くなっていた。

やっぱり体を動かすと気持ちいいよね。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

曇り時々晴れがいい。

2018年12月24日月曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~②

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録②



まさかの当選通知が届いた―。

本来ならば諸手を上げて喜ぶべきところ。でも、その前に大きな問題が待ち受けていた。

それが、大会の参加費。

参加費は手数料も加えて4万円もかかる。

給料の全額を家庭に入れ、お小遣いでレース出場をしている身としてはすぐに「はいはい」とクリックすることはできない額だ。


さらに、交通費を計算してみる。

山形から鳥取県まで、空路での直行便はない。仙台空港を利用するしかないが、片道5万は固い。となると往復10万。

さらにバイクの輸送にも2万以上かかる。このほか、宿泊費、現地での交通費等を考えるとすべて合わせて15万くらいかかる計算に。参加費合わせると20万!

計算すると吐き気がしてきた。


金額を考えると参加はとても無理。でも、去年おシンレースの1レースしか出てないない自分が当選する幸運が来年も続くとは思えない・・・。

そこで出した結論が、


片道1000kmを「車で自走していく」。


いかにもトラ人の発想。

会社の人に話したら、即答で「馬鹿じゃないの?」と言われた。
しかし、この方法だと、バイクの送料がタダになる(車に積んでいくから)。

交通費もガソリン代と高速代のみ。土日の場合はETCの週末割引も使える。
唯一難点は疲れること。これは大会前のコンディションを整えたい時期には痛い。

しかし、ほかに選択肢がないこともあり、車で自走した場合の交通費を計算してみる。

往復2000kmのガソリン代は、リッター150円、燃費13km/L想定で2万3000円。
さらに、往路はほとんどを下道で行くことにすれば、高速代を入れても交通費は4万ほどで済む。

宿泊はこれまで貯めたじゃらんポイントを活用して、一泊3500円ほどの宿を2泊分タダに。

その他諸々の経費を追加しても総額9万まではいかないくらい。
毎月5000円をトライアスロン関係費用として、お小遣いの積み立てを行っているので、年間6万の予算を上手に活用すれば、何とかまかなえるかも・・・。

そんな淡い期待を抱き、支払いのためにコンビニのドアをくぐった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


人生、曇り時々晴れがいい。

















2018年12月23日日曜日

皆生大会惨敗の記録~初心者がロングの大会で失敗しないために~①

初めて出場したロングのレース「全日本トライアスロン皆生大会」の失敗をたどる記録①


全日本皆生トライアスロン大会―。

日本におけるトライアスロン発祥の大会に出場した。

もちろん、自分にとって2018年最大のレース。そして、これまでのレース人生で最大の失敗をしたレースでもあった。

年の瀬も迫ったことから、記憶が薄れる前に皆生大会で起きたすべてを記録しておきたい。



トライアスロン―。

実は20年以上前に出会ってから、長い付き合いになっている。

きっかけは1冊のマンガ。大学受験に失敗し、仙台市の予備校に通う浪人時代に、「10月の満月に一番近い土曜日」(石渡治)を本屋で立ち読みしたこと。

たった1回読んだだけ。もう内容はすっかり忘れてしまったが、大学に入ったらトライアスロンに挑戦してみようと思ったものだった。

しかし、実際に始めて見ると大学の部活の練習に全くついていけず・・・。

中・高とやっていた陸上競技(短距離)に戻りますと体のいい言い訳をして、1年持たずに辞めてしまった。残ったのは一台のロードバイクのみ。

それから約10年。

トライアスロンに取り組む人たちと仕事を通じて出会ったことをきっかけに、再び競技に参加するようになった。とはいえ、社会人になり、30歳をすぎ、結婚し・・・と自由な時間が削られる中。

適当な練習で本番を迎え、ろくに充実感も得られないまま、2度目の休眠をすることになったのが6年前。

それでも、もう一度トライアスロンの大会に出る生活に戻ってきた。

不惑を迎え、健康についての意識が高くなったこと。30台後半に打ち込んだJC活動から卒業し、自由な時間が多少なりともできたこと。
様々な理由から三度、トレーニングを再開した。

しかし、モチベーションが高かったのはわずか1週間。それ以降はグダグダと全く練習することなくオリンピックディスタンスのレースに参加。自分の体がここまで動かなくなっていることに衝撃をうけながら、何とかゴールした。


このままじゃいけない。それは何度も何度も思ったけれど、仕事に疲れて家に帰り、缶ビールをカシュっとすると、もうそんな考えは泡となって消えてしまう。

そんな日々を送っている中、なぜかふと、ロングの大会に一度も出ていないことを思い出した。

ロングに出れたらすごいんじゃない?この突き出た腹でゴールできたらかっこいいかも。
それ以前にお腹が引っ込むかも・・・。妄想全開で酔っぱらったまま、大会のHPを検索した。

現在日本国内で開催されているロングのレースは、4つ(のはず・・・詳しい方教えてください)。

・佐渡国際大会。
・長崎五島列島の大会。
・宮古島大会。
・皆生大会。

山形から一番近いのは佐渡のレース。しかし公式HPには、過去にロングに出場した人でないと参加不可とある。そうでなければロングの半分、Bレースに出場歴が必要との記載。

こちらは初めてのロングレースに出ようって身。この時点で佐渡は却下することに。

宮古島は遠すぎて時間的にも金額的にも無理。

長崎は何とかなるかと思ったが、HPを見たときには今年度の申込はすでに締め切っていた。

ということで、消去法的に鳥取県で行われる皆生大会に申し込む事にした。遠いけど陸続きだし(この甘い考えに後で泣きをみることに)。

何とか申込み期限にエントリーは果たせたが、過去のレース歴等を記入する欄を見ると惨憺たる結果。
これは受からないな・・・と思っていたら、4月末、ゴールデンウィークを前に当選通知が届いた。

何たる幸運!それとも不運?

まさか受かるとは思っていなかったので、4月入るまでは全く練習していない。4月のランは月間走行距離がわずか10km。
3月までは雪を言い訳に全く走っていなかった。バイクも同様。スイムは500m泳げるかな・・・という状況。

しかし、大会は7月15日に決まっている。

絶望的な状況の中、たぶん何とかなるだろうという意味不明の自信だけを胸に、トレーニングを開始したのだった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

人生、曇り時々晴れがいい。

2018年12月22日土曜日

ブログを始めた理由

何かを変えたい。

昨日までのより、一歩でも前に踏み出したい。

成長したい―。


色々な思いを抱えながら、それでも昨日と変わらない今日を過ごし、明日を迎えていました。

本業だけではお金が足りない。時間が欲しい。人からよく思われたい。嫌われたくない―。


そんな思いも多く抱えていました。



このブログを書くことで、何かが変わるわけではないと思います。

それでも何かを変えるために、一歩を踏み出してみようと思います。



雪深い東北の地方都市、山形の街角から見た日々をつづるブログ。

いまさらブログを立ち上げてどうするのか?
良く見られたい自分をいかにさらけ出すか?
そして、文章を書くことで収益を上げることができるのか?


多くのテーマを持って歩みだす一歩。

大きな成功は望みません。人生、曇り時々晴れがいい。